【 雑木林のパンやさん】 物語

雑木林のパンやさんは、火曜日と木曜日は14年間、土曜日のみは3年間営業していました。17年間、たくさんのお客様に来ていただき、2008年6月末に閉店しました。

春の訪れ ーひな祭り―

 ひな祭りは幸運を願い

 悪霊や災難を追い払うためと言われています。

 このお雛様は 30年前に同じ宿舎に住んでいた人形作家の方から

教えて頂き 作った紙粘土人形です。

ひな祭りの色といえば 桃の花の色でもある ピンク。

桃の花を飾るのが定番ですが・・・今年の我が家はラナンキュラスのピンクと

スイートピーです。

 

  お雛様はいつから飾ればいいの?

 お雛様を飾る時期は、立春「節分の翌日 2月4日頃」から

2月中旬にかけてが良いと言われています。

節分で豆まきをして、厄を払った後に飾る。という流れで覚えておくとよいでしょう。

                                 Googleから

 

 桃の節句は春の節句ということもあり

春の訪れを告げる立春が一つのベストタイミングなんでしょうね。

 

         金沢は風が冷たくお寺の屋根には うっすら雪が残っています。

         被災地 能登半島はお雛様どころではない 日常です。

         せめて 我が家のお雛様にお祈りをしています。

 

  鈴木大拙一日一言 三月三日 祈り

 自分の周囲に打ちひろげられる日々の惨憺たる光景を見たり、

聞かされたりすると、何としてもじっとしては いられないのが人間である。

自分の力では何とも仕方がない、

人間の力だけでは手の出しようもない。この時に心の底から湧いて出るのが

祈りである。

                     今日の一言から

 

 

momo2448.hatenablog.com

 

 

ロシアがウクライナへ侵攻して2年。 図書館に    リクエストしていた本が届きました。

 二年前に ウクライナ民話【てぶくろ】をアップした時は

こんなに長く そして こんなに酷いことになるとは・・・

 

 この民話は かの地のおばあちゃんたちが 大きい人も 小さい人も

力の強い人も 力の弱い人も みんな 一緒に暮らせたら いいね!

という メッセージが 込められています。

あの日から我が家のリビングに【てぶくろ】の絵本とマー君の写真を

立てかけてあります。

ウクライナが平和になったら、この絵本を本棚に戻そうと・・・

早く 本棚に戻したいです。

 

 

 前回のブログ 点畠大輔著書【弱さ】を【強み】に載せた後

図書館で リクエストをしていた本が届きました。

その本 二冊を紹介します。

 

   * しゃべれない生き方とは 何か 

 

 

 筆者と通訳者の日常のやりとりが 多く書かれています。

「先読み」のあり方の難しさも・・・。

天畠さんの様に研究を生業としなくても「発語困難な重度身体障がい者」は

自分の介助者で【変革】していかなくては

自らの生活は難しい。

しゃべれなくても、自分のやりたいことを追及して生きていくことはできます。

そうしたメッセージと同時に、しゃべれないことによる みえない苦労も多くの

方に知ってもらいたい。

そんな 思いもこの本に込めたと 書かれてありました。

障がい者のコミュニケーション」を専門とするフィールドを模索するうちに、

東京大学先端科学技術センターの福島智氏と立命館大学大学院先端総合学術研究科の

立岩真也氏に出会った。

全盲ろうという障がいをもつ福島氏は情報のインプットに、

筆者はアウトプットに大変な苦労があるという点で、健常者とは異なる極限状態で

生活していることが共通している。

そして、そのうえで研究者として活動している福島氏の姿に、将来の可能性が一気に

開けたように思えた。とも書かれてありました。

一方社会学と障害学を専門としている立石氏は、筆者のような重度障がいをもつ学生が

大学院で学ぼうとすることを【ついに来たか】と歓迎し、

親身になって受験やその後の学生生活へ最大限配慮してくれた。

その点に筆者は将来への可能性を感じ、立命館大学大学院への受験を決意し、準備を始めた。との事・・・2012・

 

  福島智氏の著書                                  【盲ろう者として生きてー指点字によるコミュニケーションの復活と再生】

 福島智氏は以前 金沢大学の研究者でした。

 

 

 

 

 

  この本は静岡県立中央図書館からお借りした本です。

 

 多くの論文投稿とエッセイが書かれてあります。

全部は 読むことができませんでした。

天畠大輔氏からのつながりで 借りた本です。

 

その中から

リプライ  深田一郎氏の書評に応えて

  *【しゃべれない生き方】は通訳者の人間性を引き出す~

  *ゆずれない【個】とは何か

  *障がい者像における【強い 弱い】とは何か

 

当事者と通訳者が共に主体性を発揮しながら生きていく【しゃべれない生き方】

の実践を今後も続けて行きたい。と

書いてありました。

 

 

この本の紹介は簡単すぎです。 ごめんなさい。

興味を持たれた方は この本を図書館でお借りしてください。

 

 

momo2448.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

【弱さ】を【強み】に 天畠大輔・著 ー突然複数の障がいをもった 僕ができること

 

 

 

 私が最初に天畠さんを 見たのは・・認識したのは・・国会中継でした。

ちょうど・・・「あかさたな」話法で質問をしていた時でした。

介助者が代読されている その様子を見て~~

テレビの前から離れることができなくなり・・・心の中で「頑張ってー」と

叫んでいたことが 思い出されます。

 

それから間もなく YouTube マガジン9 だったと思いますが・・・

雨宮さんが

中途障がいを持った天畠さんの【弱さ】を【強み】にという タイトルで文章を

載せてあったのを見つけたのです。

読めず 書けず 話せない という状態で 大学進学 さらに大学院へ進み

博士号を取得。

現在は日本学術振興会の特別研究員として 研究をしているとのこと・

それだけではなく 自ら介助者を派遣する事業所を運営し 又 

相談員支援「一般社団法人 わをん」を設立しています。

それを 24時間介護を受けて、生活をしていることが書かれていました。

 

     ***********

 驚きました。 何にも知りませんでした。

今思えば 天畠さんは、国会に新風を吹き込んでくれている・・・

そんな感覚で見ていました。

それにしても テレビに時折映し出される 議員の人達の表情を見て・・・

「ちゃんと聞いてよ~」とテレビの前で叫んでいる 私がいます。

     ************

 

昨年末から ブログで読みたくなる本の紹介があり・・・紹介することの大切さを

改めて知り・・・ この本を紹介したいと思い 買い求めました。

図書館には 【弱さ】を【強み】に 天畠大輔著は この一冊だけありました。

他の数冊はなく・・・

【しゃべれない生き方とは何か】はリクエストしてきました。

 

   さてさて この本のはじめに

ホーキング博士は14歳の時から僕が 憧れてやまない人物になりました。

僕が博士に憧れる理由は、この本、【弱さ】を【強み】にを読んでいただけたら 

わかると思います。

から始まります。

小学校から進学校に通っていたのですが、中学生になると ひたすら教科書の知識を

詰め込まれる毎日に、学校での居場所が感じられず、徐々に不登校になっていったようです。

中学生で成長期を迎えた天畠さんは 当時身長は180センチオーバー 

体重は120キロ そんな体格のいい青年だったようです。

不登校になった彼は 人生のやり直しという意気込みで留学。

身体の変調は、14歳のときに留学していたイギリスで始まりました。

留学早々重度のホームシックになり、食欲が落ちて、嘔吐と下痢が続き 現地の医師の

診察を受けたところストレスにによる胃潰瘍だろうという説明を受けて一時帰国。

その時は 本人もご両親も少し療養すれば またすぐ元気になると・・・深刻になって

いなかったようです。

帰国して一、二ヶ月自宅療養しているうちに30㎏も体重が減り、体調もどんどん悪化していったようです。

止まらない身体の変調に不安は強くなり、何軒もクリニックや病院を受診しましたが

どこへ行っても「ストレス」と診断され、精神安定剤を処方されたことも・・・

七件目の病院から戻った日、突然失禁し、徐々に意識が朦朧となり、食事が摂れないこ

とから、病院でブドウ糖の点滴 自宅に帰ってきた時 異様に喉が渇き ペットボトル

を持つが 口に運べなかったことが、遠のく意識の中で記憶しています。と書かれています。

お母さんは 明らか様子がおかしいとおもい、紹介状にあったこども病院に電話をかけ

るも・・・電話に出た当直医は緊急性を理解してくれず「朝まで様子を見るように」と

翌朝、完全に意識を失っていて、すぐにまたこども病院へ電話をかけて 、救急車で・

こども病院での診察の結果、若年性急性糖尿病と診察され、治療が開始されました。

ご両親は診断がでて少しほっとし、入院の準備をされていたようです。

後の医療裁判で明らかになりましたが、このとき病院側が適切な処置を怠ったことによ

り、入院して約三時間後には心肺停止になってしまっていたのです。

心臓が止まったことにより酸素が行き届かず、脳に大きなダメージを負うことになった

のです。低酸素脳症です。

そこから一週間、危篤の状態が続き 入院した翌日、ご両親は医師から脳死状態だと告

げられました。

 一度脳死状態に陥りましたが、幸いにもバイタル「血圧 脈拍 体温など」が少しず

つ改善し、二回目の脳死判定はおこなわれませんでした。

 

   痛みが伝えられない

 入院して三週間が過ぎた頃 昏睡状態から目覚めていました。

ラジオの音、医師や看護師の会話、両親の声・・・まわりの状況は理解できても、反応

を返すことがまったくできず、ご両親は「植物状態で、知能は幼児レベルまで低下して

いる」と医師から説明を受けていました。

ある時 お母さんがおもしろい話をしたら、ピクッと顔が動いたそうです。

そのことを 脳神経科の医師に伝えたそうですが、「考える能力はないから、違いま

す」と冷たく返されたとのこと。

自身が 反論できないことが、悔しくて、また、今の状況を説明してもらえるわけでも

なく、頭の中はパニックだったようです。

 

最も辛かったのは、痛みを伝えられないこと。

昏睡状態を脱してからは、痛みとの闘いが続き、特に褥瘡「床ずれ」の術後の傷に、と

ても苦しめられたこと・・・危篤状態のとき、体位交換ができなかったために臀部の

肉、握りこぶし2個分が壊死してしまい、計二回手術をしたそうです。

いずれも全身麻酔で手術は、おこなわれましたが、その後は血圧が下がることを恐れ

て、痛み止めがいっさい使えなかったとのこと・・・

生身を切り裂かれるような激痛が続き・・・その泣き叫びたくなる激痛を他者に伝える

術がありませんでした。と 書かれています。

 

 

 読んでいるとつらくなります。大輔さんよく頑張ったんですね。

 その傍らのご両親の心痛にも 思いが重なります。

 

 

 一般病棟に移れば、あとは順調に元の身体に回復していく。

勉強の遅れを取り戻して、また留学先に戻ろう・・・当時はそんな未来を思い描いて

いたようです。

 

  【あかさたな話法】の誕生

 他者とのコミニケーションがとれなくなってから半年後、お母さんとのある出来事を

きっかけに「あかさたな」の50音を使って意思を伝える方法が誕生しました。

 その日 お母さんが面会にきた時、ベッドで泣き続けていたそうです。医師に伝える

と「感情失禁」といい 泣き始めると意味もなく泣き続けるので大丈夫、と言われたそ

うです。しかしお母さんは「そんなことはない、状況判断はできるから、何かを伝えよ

うとしているはず」と考え、何とかコミュニケーションをとれないかと必死に考えた結

果、テレックスタイプライターを思い出し、母音と子音の50音を組み合わせるやり方

で、意思疎通をとることを思いついたそうです。

頭の中に「あかさたな」の50音をイメージさせて、舌を動かすように言ったのです。

そうした手法で天畠さんが 初めてお母さんに伝えたのは「へった」だったそうです。

経管栄養が空になっているのを見たお母さんは「おなかが空いているって意味なの?」

と言われた瞬間  彼は顔の筋肉を緩ませて泣いたそうです。

 

しかし そこからも苦難の道のりは続きます。

学校は養護学校「今は特別支援学校」へ行くのですが・・・中途障がいの天畠さんにと

って、物足りなく 高等学部2年を終えた時点で施設を出て家で暮らし、多くの大学生

ボランティアにリハビリを手伝ってもらうようになりました。

大学生が話す彼女とのエピソードに「いつか 僕だって」と大いに刺激を受けたそうです。

大学合格を勝ち取るまでには、ご両親と沢山のボランティアの

力強い協力・・・。

そして そして        

天畠大輔さんの大学進学への一番の動機は「モテたい」でした。

「いつか、僕だって」

キャンパスライフへの夢は、これから何重にも立ちはだかる

ハードルを・・・

乗り越える原動力になっていきます。

 

  【弱い】主体としてのあり方も受け入れる

上野千鶴子先生に後押ししていただいたことをきっかけに、自分の「弱さ」

について徹底的に向き合うことを選択。それは正直、すごく怖いことだったと

書かれています。

 

           これからが天畠大輔さんの真骨頂です。

                                        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

能登半島地震の後【始まりの木】を読むことができて良かった・・その2

 

 目に見える 理屈の通ることだけが真実ではない。

 

     * 昨日の続き

 

 鞍馬寺となると、目の前の岩倉駅から叡山電車に乗ることになるが、千佳たちとは

正反対の方向である。ちょっとそこまで、という距離ではない。

しかし目の前の頼りない青年をこのまま見送ってしまうには、あまりにも心もとない。

 そんな千佳の逡巡をくみ取ったように、青年は笑顔のまま告げた。

「心配いりませんよ。電車に乗ってしまえばあとは座っているだけですから。ほら、

ちょうど・・・」

アナウンスも聞こえてくる。奇しくも鞍馬行きだ。

最初に動いたのは古屋だった。

千佳の手の中の白い荷物を取り上げ、それを抱え込むと悠然と改札口へ向かって歩き出した。

呼び止める千佳の声に、古屋は 「何をのんびりしている、電車が来るぞ、藤崎」

鞍馬行きですよ  その声に「もちろんだ」と古屋が振り返った。

「送ってやると言ったのは、君ではないか」

常ならぬ面白がるような光が垣間見えた。

岩倉駅を出た列車の中で「講演、欠席するつもりじゃないでしょうね、先生」

「言いがかりだ。困っている人間を助けるのは当然のことだろう」

「そんなこと言って・・・講演は午後3時からですよ」

「私は南西大学の馬鹿どもとは違う。何度も言わなくてもわかっている」

「わかっているからなおのこと、手に負えないんです」

千佳はなかなか心が休まらない。

一方 青年はこの電車に乗り慣れているのか、落ち着いた目を窓外に向けている。

「杖をついている人間には、優しくするものだぞ、藤崎」

これ見よがしにステッキを持ち上げた古屋は そのまま向かいの青年の隣りに腰を

おろすと 唐突に問いかけた。

「君は絵を描くのかね」

「わかりますか」

「それはキャンパスだな。20号か。油絵かね?」

「油絵はもちろんやりますが、今日は水彩です」

「今年こそはどうしても、紅葉を描きたいと思っていたんです」

「この時期はいつも体調を崩すんです。でも今年はなんとかこうして出かけてこられましたから」

千佳が心配そうに

「ひとりで来たの?」

「父と母には内緒なんです。話したらダメだって怒られますから。僕のこと、しつよう

以上に心配するんです」

「必要だから心配しているのだろう」 低いつぶやきは・・・古屋

叡山電車は山間をぬけていく。赤から橙へ柔らいでいく陽光の中 豊かに輝く色彩は

眩しい。

 実相院の床もみじが静の赤であれば、叡山を彩るのは動の赤  その赤の中を、列車

は左右に揺れながら、山中へと分け入っていく。

なるほど、少しくらい無理をしてでも見に来たくなるような見事な風景であろう・・・

 

「そういえば、お二人のほうこそ何か大切な用事があるんでしょう?大丈夫なんですか」

「問題ない、むしろ丁度よい」

「よくはないです」

冷静に千佳が訂正する。

「着いたら すぐに引き返しますよ。どんなに気に入らなくても講演は講演です。先生

の話を聞きたいっていう研究者だってたくさんいるんですから」

「講演ですか」

「すごいですね」

 きょとんとした顔をした青年は、すぐに微笑んだ。

「そんなにうらやましいなら、代わってやってもいいぞ。三本足の演者が四本足になっ

たところで誰も気づかんだろう」

千佳は頭をかかえたくなる・・・

しかし青年は楽しそうに明るい声で笑ってから、千佳に目を向けた。

「素敵な先生ですね」

目を丸くする千佳

「僕もいつかたくさんの人が見に来てくれるような大作を描くのが夢なんです。まだ

ぜんぜんですけど・・・」

青年の涼しげな瞳の中に、言葉にならない哀惜の念にも似た光が見えた。だがそれも

一瞬のこと・・・すぐに、

「ありがとうございます。ここまで来れたのはお二人のおかげです」

突然に・・・

「ありがとうございますって・・・ちゃんと最後まで送っていくわよ。ここまで来たんだもの」

「ここでいいんです。ここが僕の来たかった場所なんです」

「ここって・・・」

千佳が首をかしげた次の瞬間だった。

ふいに車内が虹色に変化した。

幻想の森の中を迷いなく風を切って進んでいく。

「紅葉のトンネル・・・」

「鞍馬の紅葉は天狗の業と聞くが、なるほど・・・」

古屋の口から、かすかな感嘆の声が漏れた。

やがて列車はそくどを落とし、ゆるやかに小さな駅に滑り込んで行った。

山際の小さな無人駅である。

「君が来たかったのはここだったのか」

「大丈夫なの? 私たちは別に・・・」

「せっかく念願の場所にこられたのだ。よそ者は退散するとしよう」

千佳の声を遮ったのは、古屋である。その言葉に深く一礼し手荷物の中から小さな

カードを二枚取り出した。

「偶然とうりすがっただけなのに、送って下さってありがとうございます」と

言ってホームの上から古屋と千佳に一枚ずつ手渡した。

「ポストカード?」千佳が小さくつぶやく。

「僕の描いた絵を入れて作ったものです。お礼というにはつまらないものですが、

ほかに差し上げる物もありません」

少しはにかみがちな笑顔が、少年のような透明感を持っていた。

古屋は手元の絵に視線を落とし、それから静かに相手をみかえした。

「描きたいものが描けそうか?」

「はい」

「ならいい」

「先生も」

青年の明るい声が答えた。

「講演、がんばってください」

七色のホームの中で、青年は松葉杖によりかかったまま、そっと帽子を手にとって

左右に振って見せた。

 

「帽子をとった時 、頭髪がないのが見えた。抗がん剤でも使っているのかもしれんな」

千佳はすっと血の気が引くおもいがした。

古屋の怜悧な目は、再び窓外の美しい紅葉に向けられる。

「ああいう状態でも、たった一人で出かけてきたということは、相応の覚悟があったと

いうことだ。余人が口を挟むべきことではない。 まあ、岩倉で出会ったとき、救急車

を呼んで追い返したりせず、こうして送ってやる道を選んだ君の勇気には感服したがね」

 

「なかなかいい絵を描くようだな」

 

線路の先に、木々に埋もれるような小さな鞍馬駅が見えたのは、それから間もなくの

ことだった。

 

到着を告げるアナウンスが、折り返し運転の時刻を告げている。20分後である。

 

古屋は駅舎の前で立ち止まったまま、黙ってかなたを眺めている。

目を細め遠くを眺めやるようなこういう姿の時は、思考の時である。心ここにあらず、

話しかけても応ずることがない。

 

所在なく千佳は青年のポストカードを取り出して、眺めた。

千佳はかすかにため息をついた。

 

「すいませんが・・・」

ふいに遠慮がちな声が聞こえて、千佳は顔をあげた。

いつのまにか目の前に立っていたのは、夫婦らしき初老の男女である。

怪訝な顔をする千佳に軽く会釈してから、男の方が

「その絵はがき、どこで手に入れたものですか?」

そっと千佳の手元を覗き込むようにして、そんなことを言う。

千佳としてはとりあえず答えるしかない。

「もらったものです。ついさっき電車の中で一緒になったひとから・・・」

千佳の返答は思いの外、二人を動揺させた。

怜悧な視線の先で、二人は何やら要領を得ないことを言っている。

千佳が思わず口を挟んだ。

「もしかしてご両親ですか?これの持ち主の」

その言葉にようやく男はうなずいた。

「そうです。これは私の息子のつくった絵はがきです。それをどうしてあなた方が

持っているのかと・・・」

「息子さんなら、このひとつ前の駅で降りられました。紅葉の絵を描くんだって。なん

だか具合悪そうだったので送ってあげたら、お礼にと言ってこれを・・・」

 

 千佳が声を途切れさせたのは、目の前の父親の変化に驚いたからだ。男はみるみる

両眼にいっぱいの涙を浮かべたのである。

「あの・・・?」

「来れたんやな、鞍馬に・・・」

ようやくそんなつぶやきがが漏れた。

「あれは、ちゃんと鞍馬に・・・」

あとは言葉にならなかった。

夫の横で、ぽろぽろと涙をこぼしたのは妻である。

 あっけにとられる千佳と、あくまで動じない古屋。

~~~~~~~~~~~

男の方が答えた。

そのまま袖口で顔をぬぐってから続けた。

「あれはもう生きてはおらんのです」

震える声が答えた。

えっ、と小さな声をあげる千佳に、男は泣き笑いのような表情で言い直した。

「息子は亡くなったのです。一年前に」

今度は確かな響きだった。

聞き間違いようがなかった。

男は 皺くちゃになった帽子を取り出して見せた。少し古びた紺の帽子。

まぎれもなく先刻の青年がかぶっていたものだった。

「息子のです。ずっと鞍馬に来たがってたもので、命日の今日、墓参りと合わせて御寺

に納めようと持ってきたのんです」

 

千佳は呆然と見返すだけだ。

「で、でも、私たちはついさっきまで一緒に・・・」

「藤崎」

千佳の声を遮ったのは、古屋の静かな声である。

千佳が戸惑うほど穏やかな声だった。一歩前に出た古屋が言う。

「息子さんは、とても楽しそうでした」

古屋は自身のポストカードを取り出し、男の持つカードに重ねて、そっと押しやった。

「持って行ってください。それは本来あなた方のものだ」

男は深く頭を下げ、それからゆっくりと首を左右に振った。

男は古屋の骨ばった手に、絵葉書を押しかえした。傍らの妻も小さく何度もうなずいている。

やがて涙を浮かべた妻が震える声でつぶやくのが聞こえた。

「あれは鞍馬に・・・来れたんやなぁ・・・」

秋風が吹き抜けて、その声を彼方に運び去って行った。

 

「こんなことって・・・あるんですね」

ぽつりと千佳はつぶやいた。自分のつぶやきがが他人の声のように遠くで響いた。

 

「・・・ちょっと驚きました」

千佳は小さくつぶやき、少し間をおいてから続ける。

「先生って、そいうの信じない人かと思っていましたから。論理的じゃないとか、

科学的におかしいとか言って・・・」

 

「論理や科学だけが学問の手法ではない」

ゆるやかに古屋は遡った。

「論理も科学も、様々な事柄を説明してくれる強力な手段だが、

あくまでも手段のひとつに過ぎない。

むしろ科学的であろうとすればするほど、

大切な事柄を見落とす場合さえある」

 

                    *  生きている間に どうしても行きたい場所がある。

      しかし 結局辿り着けぬまま その人間が死んだとき

      最初の命日に一度だけそこを 

      訪れることができるという。

 

 

岩倉駅である。

「何を呆けている。行くぞ、藤崎」

「行くってどこですか?」

「講演に決まっているだろう。ここからタクシーを拾えばなんとか間に合う。

 そいう時間だ」

千佳は思わず腕時計を確認し、

「欠席するつもりかと思っていました」

「そうも言っておられん」 

古屋の足が、ステッキとともにホームへと降り立つ。降り立ちながら、肩越しに振り返った。

「講演をがんばれ、と、あの若者に言われたばかりだからな」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

千佳は古屋に

  先生はどうして民俗学者になったのですか?

  という質問に・・・

古屋は

  ひとつ私も君に質問してみよう。柳田國男はなぜ民俗学を始めたか、考えたことは

  あるかね?

 

これもまた千佳に劣らず唐突な問いであった。

 

 

    古屋はスコッチを飲み干すと・・

【勤勉で働き者の日本の農民たちがなぜこれほどに貧しいのか、

柳田はそのことに衝撃を受けたのだ。

農民たちが怠情であるわけではない。

にもかかわらず、トップダウンで政務をとりしきっても

一向に豊かにならない。

そのギャップに苦悩した時、

彼は日本人とはどのような人間で、

日本の社会とはどのように成り立っているかを根本的に学ばねば、

改革は困難だと考えた。

この国の民族を調べ、理解し、それをもって、

この国を貧しさから救う。そういう鉄のような使命感があったのだ」

 

**************************

 

 

                                        やっぱり 書き添えたくて~~

         鞍馬での物語を読みながら・・・

         すっーと涙を流しながら・・・

         読むことを やめることが できませんでした。

         それは 悲しいというより そんな世界観の

         温かさだったように思います。

         そんな 思いを【始まりの木】その1に

         つるひめさんからのコメントの返事にとして

         書きました。

         ここにも・・・

         私の 備忘録として・・・。

 

 

            

 

 

 

 



能登半島地震の後【始まりの木】を読むことができて良かった・・・その 1

    

 これからは 民俗学の出番

   昔 この国の人たちは 美しいとはどういうことか 正しいとは何を意味するのか

そういうことを しっかり知っていた。

 

⁂ この本を読みたいと思ったのは 1月11日のつるひめさんのブログからの始まり

  でした。

  図書館へ行き予約をお願いして 間もなく よんばばさんのブログに

  精神が浄化されるような【始まりの木】というタイトルで書かれていました。

  お二人から伝わってくるのは 今 大切にしなければならないのは【民俗学

  民俗学のことは なんとなーくしか知りません。

  マー君も一緒に遠野へも行き「遠野昔話資料館」へも行きながら・・・です。

  そんな私が読みたいと思ったのです。

  一週間ほど前に読み終えました。

  ホント 読んでよかったです。

     この本を読んでから遠野へ行きたかった・・

     ーそれは無理ですねーこの本は 2020年初版発行です―

 

  ブログを書こうと思うのですが~~お二人の紹介文だけで充分です。

  私が書き添えることなどありません。

 

  そんな時 つるひめさんのコメントを思い出しました。

  「私が泣けた 鞍馬での箇所 マー君ママさんなら より一層心に響くのでは と

   思います。」という コメントをいただき・・・

   答えるように   書けるかもしれないと・・・

 

  先ずは簡単に・・・二人の紹介

古屋神寺郎は 学会でも高名な民俗学者

       変わり者であっても 院生には確実に修士を与える有能な准教授

 

藤崎千佳は  大学院に進学

       高校生の頃に読んだ 柳田國男遠野物語に感動したから・・・

       それだけではないのですが・・・やっぱり不思議なご縁で

       古屋先生の研究室へ・・・

そんな古屋神寺郎は口先だけの学者ではない。しつようとあれば、日本中どこでも

出かけていく。どれほど足が悪くても、階段を登るのにさえ苦労する身であっても

彼は歩く学者です。

 

古屋はしばしば突然、この快活な女学生に「藤崎 旅の準備をしたまえ」と

千佳と古屋の旅は いつもそうして始まる。

 

    第二話 【 七色 】

 

 藤崎千佳は、物静かな路地裏の石段に腰をかけたまま、辺りの古景に身をゆだねて

いる。

ここは 岩倉です。

学会の主催者でもある 南西大学の教授から「古屋先生には講演を引き受けて頂いて

感謝していますよ」

と言われた その後で「ああ、古屋くん」

いつのまにか「君」呼ばわり・・・

「ああいう連中を相手に講演するほど無意味なことはない。最初から揚げ足をとること

しか考えていない。右と言えば左、馬と言えば鹿と言うに決まっている」

「馬鹿ということですか」

「そうだ。間違いなく君より馬鹿だ」

そんな こんな会話 と言うよりも 古屋は千佳に怒りをぶつけるも・・・

千佳は「全然納得できないんですけど・・・」

「不毛な講演だ。やる気がなくなった」

ふいに投げ捨てるような口調で言う。

千佳は「気持ちはわかりますけど 講演に行かないなんて・・・」

とりあえず押しとどめようと口を開いた千佳の目に入ったのは、古屋のすぐ背後から

ふらりと姿を見せた瘦せた人影だった。

「あっ」と千佳が叫ぶのと、古屋と人影が衝突するのが同時だった。

 

「すみませんでした」

道端でひたすら頭を下げて謝ったのは、一人の青年です。

年齢は二十歳前後 血の気のない顔色で紺の毛糸帽をかぶつている。

なにより二人の目を引いたのは、青年が両脇に抱えている松葉杖だ。

「本当にすみませんでした。」

とりあえずステッキを探して路上に手を伸ばし、なんとか立ち上がった古屋が、

「大丈夫だ」と答えたのは、彼にしては上出来の応答。

「君が転んで誰かにぶつかるのは自由だが、どうせなら、杖をついていない奴に

ぶつかってくれないか」

千佳は「先生 またそうやって訳のわからないことを・・・」

慌てて止めに入る千佳の前で、青年はもう一度丁寧に頭をさげた。

千佳が戸惑ったのは足元に白い布で包んだ大きな板状の荷物をみつけたからである。

こんなものを抱えて松葉杖をついていれば、まともに歩けるはずもない。

千佳が口を開いた。

「大丈夫?」

「大丈夫です。すみません」

答える合間に かすれた咳を繰り返している。まるっきり病人の所作。

「もし一人で大変なら、私たちが送ってあげるけど・・・。そんなに遠いところでなければ」

「藤崎、講演に遅れるなと言っているそばから、道草を食うつもりかね?」

「まだ午後1時です。 時間はあります。」

「彼には二本も杖がある。私は一本だけだ。どちらが歩くのに、よりバランスをかくか

君はわからんようだな」

「バランスを欠いているのは、先生の言動の方だとおもいます」

さすがの古屋も沈黙

そんなやり取りを見て、青年は小さく微笑を~

「なにか変?」

「いえ、なんだかとても仲がよさそうなお二人だと・・・」

「君は足だけでなく目と耳も悪いようだな。それでぶつかっても仕方ない」

「先生ー」

「ごめんなさい、こういう人なの。気にしないで」

「気になんかなりません。なんだかこんなにあけっぴろげに言われると気持ちがいい

くらいです。」

青年は本当に楽しげな笑みを浮かべている。

「どこへ行くつもりなの?」

「鞍馬まで」

「鞍馬?」とさすがに千佳は当惑する。

 

       そのまま書き写すのではなく 要約したつもりですが・・・

       続きは近いうちに・・・載せます

 

 

 

momo2448.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

  

 

志賀原発は輪島の南で隣町に所在します。

 能登半島地震。 日がたつにつれて考えられないような津波被害 停電 断水 

寸断された道路~~地盤沈下 隆起等々 想像をはるかに超えた災害に心痛くなります。

避難先での大変さ~~救援活動をしてくださっている方への感謝~~

そんな思いをしながらも ~~

志賀原発が稼働していなかったことが 本当に良かったと 日を追うごとにそんな思い

が強くなります。

 

 

有為自然さんとのコメントのやり取り・・・は

 

 

 

  1月7日 有為自然さんのブログ【震度6強】の体験 もしも・・・

                なぜ 地震多発地帯に原発を?

 

  その記事のコメント欄に 私がコメントを書きました。

    

    ホント同感です。

 

 稼働していなかったのは~~東日本大震災の沢山の犠牲者と 今まだ故郷へ帰る事の

できない切なさを~~抱えた人達。 そして廃炉にするように・・・声を挙げ続けてい

る人達のお陰だと 私は思っています。

 

何としても ドイツの様に脱原発を・・・願うだけではダメですね。

昨晩 珠洲から 8時間かけて帰ってきたご夫婦と 話をしていて・・・

やっぱり選挙です。

投票に行くことです。

 

    有為自然さんからのコメントには・・・

マー君ママさん

志賀原発が稼働していたら 大変なことになっていたことでしょう。

モニターは作動していないところは たくさんあるし 道路も寸断されているのですから。

おどろいたのは【珠洲原発】の計画があったということです。

全く知りませんでした。

 

福島原発の記憶を消し去り 再稼働させようとしている政財界。

今日の地震のことをふまえて 原発がいかに 危険なものであるかを少しでも

多くの人に伝えていけたらと思っています。

そして 投票に実らせるようにしましょう。

  というコメントを頂きました。

 

 

   私から・・・

有為自然さん そうなんです。

関西電力 中部電力 北陸電力が 作ろうとしていたのが 珠洲原発だったのです。

その時の 住民の頑張っている姿を 友人である 赤井朱美さんがドキュメンタリーとして制作しました。

 

その作品は 【能登の海 風だより】1993年に制作されました。

 

能登の海風だより】は

 * 芸術作品賞

 * 放送文化基金賞優秀賞

 * FNSドキュメンタリー大賞

 * 地方の時代賞 映像コンクール優秀賞

 * ギャラクシー賞奨励賞

 * 第2回地球環境映像祭 社会環境映像賞

 * NY、フライブルグで上映 されました。

 

その映像は おばちゃんたちの生き方・・・

日常生活から 大切なことを理屈ではなく 生活すること していることが

力強く 笑顔も誘う 作品になっています。

  とコメントを書きました。

 

 

   有為自然さんからのコメント・・・

この作品を観たいですね。

また、より多くの方に観てもらう静かな運動が起きたらと思います。

 

 

    私から・・・

 有為自然さん

この作品は見てもらいたいとおもいます。

赤井朱美さんに電話をかけて 聞いたところ

横浜 放送ライブラリーへ行けば 見ることができるそうです。

ホント そんな運動が起きてほしいです。

ありがとうございます。

 

 

     有為自然さんから・・・

  マー君のママさんへ

赤井朱美さんに電話をして下さるなどして

視聴するための情報をありがとうございます。

横浜放送ライブラリーに行くには 我が家から2時間ほどかかることがわかりました。

3回 乗り換えのようです。

暖かくなりましたら 機会を見て 見に行こうと思いました。

その時は報告します。

北陸3県は、まだ一度も足を踏み入れたことがなく、私にとっては遠い存在でした。

これを機会に、いろいろ知ろうと思いました。

詳しく 丁寧な情報 本当にありがとうございました。

     とのコメントをいただきました。

 

 

 ⁂ 有為自然さんからの問いかけで~~~

おどろいたのは【珠洲原発】の計画があったということです。全く知りませんでした。

このようなコメントをいただいたので 私も思いがけずいろいろ書くことができました。

ありがとうございました。

 

有為自然さん 何かとお忙しい中 横浜放送ライブラリーまで 3回の乗り換えをして

2時間もかかるのですね ご無理をしないでくださいね。

 

 

* 地元地権者の反対する意志の強さと 反対する住民の結束力

  でした。

 

                 マー君と赤井さんとの関係は・・・

 

                ドキュメンタリーを何本もつくっている

                赤井さんは 編集は東京で・・・

                時折 編集中に電話があり マー君 に変わって

                ほしいと・・・固定電話の受話器をマー君の耳元   

                へ・・・話しかけてくださっているのが伝わり

                ました。

                マー君は いつも ではないのですが、

                身体をぴくぴくさせたり アーアーと声を出して

                いました。「わかるようです」

                後に赤井さんは マー君と話すと なんか 気持ち

                が らくーになるのよ~~~と

                         その時のことを思い出します。