【 雑木林のパンやさん】 物語

雑木林のパンやさんは、火曜日と木曜日は14年間、土曜日のみは3年間営業していました。17年間、たくさんのお客様に来ていただき、2008年6月末に閉店しました。

2021-01-01から1年間の記事一覧

太白台小学校5年2組の生徒さんからの手紙  その4  【思い出】

⁂摩利子さんからの手紙 マー君も学校にくれば多くの人に、なじむし、とってもいい思い出にも なると思います。 私たちの学校のすぐうしろに森があります。 パンのおいしい かおりが森にはいっていったら 森はもっと元気になると思います。ぜひ来て下さい。 …

太白台小学校5年2組の生徒さんからの手紙  その3  【思い出】

⁂万依さんからの手紙 ブナ祭りに来た子たちは 【あっ、この人 ブナ祭りで会ったよ】と口々に言っていました。 ビデオで【夢のある小さなパンやさん】と言っていました。 町のぱんやさんより、すてきな広場になっている気がしたよ∼ マー君は、かんとくさんな…

太白台小学校5年2組の生徒さんからの手紙 その2  【思い出】  

⁂亨君からの手紙 僕が本当のマー君を見たのは、スウさんの家でブナまつりをしていた時に 見ました。細川さんの話をきいている時にうれしそうに聞いていたから 話をできないけど 心には、すごく思いがつたわっているとおもいました。 こんどマー君とあえたら…

太白台小学校5年2組の生徒さんからの手紙  その1  【思い出】

架谷先生が冊子にして送って下さいました。 最初は ⁂智美さんから 大谷さん、初めまして。 私は会った事はなかったけれど前、テレビで見ました。 私はパンが大好きです。 パンのきじといっしょに夢がどんどんふくらんでいって、 それでもっておいしいの**…

パンの授業 太白台小学校5年生のクラスへ     1993年の12月  【思い出】

パンの授業に行くことになったのは、水野スウさん 架谷先生そして ありのままの気持ちを文章にしてくれた子供達からの手紙でした。 その授業ができるまでの物語は 水野スウさんの著書【出逢いのタペストリイ】180ページに書いて下さっています。 その文章…

想い出の 雑木林のパンやさんとお客様        【思い出】

⁂ 雑木林のパンやさんの入口です。 向かって左側がスロープになっています。 ママと一緒に、ベビーカーに乗った赤ちゃんもお客さんです。 ママは 【離乳食は ここのパンは安心なんです】・・・と・・・嬉しくて心がポカポカになったのを 思い出します。 マー…

守 思い出の成人式 27年前です 【思い出】

マー君はベルベットのスーツを着ています。能美市松が岡に住んでいた大久保節子 さんが、作ってくださいました。 フエルトの帽子はあや工房の宮文子さんが、成人式のお祝いにプレゼントして下さ ったのです。帽子の内側には、マモルとフエルトで書かれていま…

守の成人祝いは、バイオリンの音色から~【思い出】

守の成人祝いはバイオリンの音色から~なんと贅沢な幸せなことでしよう~ 近所の子供達、 雑木林のパンやさんのお客様、 その年の年賀状にコンサートのこと を書いたので、遠方からも友人夫婦が、来てくださいました。 生のバイオリンの演奏はお部屋と来てく…

野染めの 続き~ 【思い出】

⁂みんなで染めた ながーい ながーい布が乾くまで 我が家でメモリアルキルトジャパンを支えた染色家の斉藤洋さんから、 メモリアルキルトを広げてAIDSで亡くなられた方々のお話を聞きました。 今も心に深く残っています。 ⁂子供達は、てんでんに、絵本を読ん…

北海道旅行は江別製粉から 【思い出】

1994年8月1日 北海道への旅は直江津からフェリーで室蘭へ16時間の船旅でした。 目的は江別製粉へ伺うこと その年の初め江別製粉さんから、小麦「はるゆたか」の収穫量が少なく、送れない時が あるかもしれません~と言う連絡を受けたのです。 「はるゆた…

雑木林のパンやさんの近く の 野原で野染め     称名寺さんでの、野染め  1994年 【思い出】

メモリアル、キルトジャパンを支えた染色家の斉藤洋さんをお迎えして、野染めをしました。 近所の子供達や パンやのお客さん それから お父さん達のお手伝いが あってのこと、 お天気がよかった事が何よりでした。 斉藤さんが まず最初に言われたことは、【…

雑木林のパンやさん で応援したい事の始まり    1993年 【思い出】

6月17日【雑木林のパンやさんを始める前のストーリー】に記したように 日本チェルノブイリ連帯基金へ応援したいと思い今も続いている理由は原発事故で 辛い思いをされている人達を、少しでも応援したいという思いと、その事務所が東京や大阪のような大都市で…

1992年の雑木林のパンやさんはー【思い出】

⁂1992年7月6日 月曜日 午後4時半から 雑木林のパンやさんちで がらくた座の人形劇を木島知草さんに、 演じてもらいました。 手袋人形劇【赤ちゃん黄ちゃん】 おはなし おひさまの歌 古着人形劇 ゆかいな森の仲間たち の 演目で、1時間の公演 でした。 パ…

自然治癒力を低下させないように-----【思い出】

マー君は小さい頃からお菓子作りやパン作りを見ることが、とても好きでした。 自己表現が上手でない子供だけに、好きなことを生活の一部にしてあげたいという 思いが雑木林のパンやさんであり、監督さんという仕事の形にになりました。 身体の弱いマー君を育…

雑木林のパンやさんの監督【守】のことを       一番に考えて~  【思い出】

開店の日だけではなくて、毎回 パンが棚に並ばないうちに完売~ どの様にすればよいか悩んだ結果、監督のマー君がちゃんと監督としての 仕事をしてもらうには、お客様とゆっくりと出会ってほしいと思い、 12時からパンを販売します。と看板に書き、伝えまし…

雑木林のパンやさん開店 1991年6月18日         【思い出】

小松保健所所長から平成3年5月16日付けで申請のあった菓子製造業については 食品衛生法第21条の規定に基づき次のとおり許可するという書面が届きました。 いろいろな人達に応援してもらい【守】高等部3年現場実習の受け入れから始まりました。 宣伝は友人、…

パンやさんを開店するまでの準備あれこれ      思い出します 【思い出】

家族に食べてもらいたいと思いながら焼いていたパンを集まりがある度に、いつもの 様に持って行ったところ、同じようなパンを焼いているお店を教えてもらい、さっそく 伺いました。マー君が通っている養護学校の近くにあったのです。 店名は、雑木林のぱん屋…

1990年10月 金沢市から辰口町緑が丘へ          引っ越してきました  【思い出】

金沢市平和町の宿舎から、初めての一軒家へ・・・大きな戸を開けると庭が見えます レースのカーテンが無くてもいいんです。それが嬉しい・・・ 気持ちいいーが実感できます。マー君はキョロキョロしていますが、「いいおかお」 です。これから庭に木や花を植…

【雑木林のパンやさん】の写真をアップした、   その日の夕方監督の【守】が亡くなりました。   

まだ まだ信じられない毎日です・・・ 守が18歳の時、養護学校卒業後の仕事は、雑木林のパンやさんの監督としてのスタート だったのです。 その物語を書いてみようと思っていた矢先の事でした。 書くことで、マー君との思い出が甦り~沈黙の会話ができるか…

雑木林のパンやさんを始める前のストーリー       【思い出】

息子【守】には重度の障がいがあり、養護学校卒業後の仕事として、どの様な取り組みをすればよいのか、7人のお母さん、子供たちで、勉強会【虹の会】を発足しました。 虹の会は12年続きました。その間 勉強会 講演会 読書会 施設見学 クリスマス会 お楽しみ…