【 雑木林のパンやさん】 物語

雑木林のパンやさんは、火曜日と木曜日は14年間、土曜日のみは3年間営業していました。17年間、たくさんのお客様に来ていただき、2008年6月末に閉店しました。

雑木林のパンやさん で応援したい事の始まり    1993年 【思い出】

6月17日【雑木林のパンやさんを始める前のストーリー】に記したように

日本チェルノブイリ連帯基金へ応援したいと思い今も続いている理由は原発事故で

辛い思いをされている人達を、少しでも応援したいという思いと、その事務所が東京や大阪のような大都市ではなく、地方都市からの発信だったからです。

そして、フィリピンの少数民族アエタの人達への応援は水牛から教育里親へと変わりました。アエタの人達は学校へは行っていないので、仕事が限られており、収入も少なく

生活も苦しく、どの様な応援を、継続的にできるのかーと悩んだ結果、子供達に勉強をしてもらう為に学校へ通ってもらおう・・・その為の応援を・・・ということで、

プロジェクトが歩き始めたのです。私も応援団の一人になりました。

驚いたのは、アエタの人達の言葉でした。

「私達には、乞食の文化はない」と言われた と 聞きました。

そんな言葉を直接聞いた方の話を、もう少し丁寧に・・・

フィリピンのピナツボ火山が爆発した時に,避難してきた沢山の人達に救援物資が届き

その食品を、受け取りにこない人達の集まりがあり、不思議に思い、伺ったそうです。

その時に前に書いた、言葉 が返ってきたとのことです。

すっごく驚き、コミュニケーションをとりながら、その人達が何を要望しているのか

伺うことから、始めたプロジェクトだったのです。

丁寧で気持ちのいい人達の集まりに、参加できたことは、学ぶことでもありました。

 

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この看板は、近所の喫茶店【樹楽】のマスターが作ってくれました。

何でも作れる人なんです。

茶店は、ログハウスなんですが、それも御自身で作られたんです。