【 雑木林のパンやさん】 物語

雑木林のパンやさんは、火曜日と木曜日は14年間、土曜日のみは3年間営業していました。17年間、たくさんのお客様に来ていただき、2008年6月末に閉店しました。

思い出【障がいがあるから余計に育てがいがあるよ】と言ったマー君パパ      1999年目 6月

⁂雑木林のパンやさんを開いて8年目にしてお客様にお伝えしました

  以前のブログにも載せたのですが、パンやのお客様が お店の様子を見て

  感じてもらえればいい・・・と思っていたので特に 話しは、していなかった

  のです。

  ある日

  いつも来られるお客様から 「お兄ちゃん偉いね―お母さんのお手伝いをして~」

  と言われ もしかして そんなふうに思っている方もいらっしゃるかも・・・と

  思い( ^ω^)・・・お知らせをすることにしました。

         お客様へ****************

  息子「守」と共に【雑木林のパンやさん】をオープンして、今年の6月で8年目を

  迎えることができましたことは、誠に嬉しい限りでございます。

  守と共にお客様に深く感謝いたしております。

 

  これまでパンやを支えて下さいましたお客様に、どうしてパンやを開こうと

  思ったのかを、8年目にして知って頂きたいという思いが、だんだん強くなって

  きました。

 

  25年前、守が生まれて、重い障がいが、あるとわかるまで そんなに時間は

  かかりませんでした。

  マー君パパは『障がいがあるから余計に育てがいがあるよ』と言ってくれたの

  ですが、母親の私はなかなか受け入れることが出来ず、いろいろ思い巡らせて

  いたある時、

  人には それぞれ 持って生まれた役割があるはず、守の役割 仕事って、

  何だろうと考え始めた その時から、ゆっくりゆっくり 私の気持ちが変わって

  いきました。

  守といっしよに地域の中で当たり前に暮らしていこうと・・・という生き方でした

 

    ちょつと 話は前後しますが、

    マー君パパは仕事柄、転勤があるのです。マー君が2歳の時・・・引っ越し

    その時 母親の私は心に決めたことは 「マー君といっしよにご近所さんへ

    ご挨拶に行こう~」

    という決心です。今から思えば そんな そんな・・・と思ってしま

    います。そんなことも思いながら、新しい土地に一歩踏み出したのです。

    心配することもなく、ご近所の方と自然なお付き合いができ( ^ω^)

    転勤先ではかけがえのない出会いがありました。

    かの地で、出会った人達とは、今もお付き合いをしております。

 

⁂気持ちの良い町とは、赤ちゃんや子供達、お年寄り そして、障がいのある人、

 ない人、いろんな人が それぞれ精一杯に生活をしている そんな コミュニティ

 ではないかと思うように、なったのです。

 そんな思いを託した仕事・生き方をしようと思った時、友人 知人から パンやを

 開いたら・・・という言葉を思い出し やってみようと いうことになったのです。

 

    パンは趣味で焼いていました。

    そんな私がパンやを開くことができたのも、いろんな出会いが

    あっての事です。

    以前のブログに載せています。

 

それは、とりもなおさず、守の仕事としての意味というふうに位置付けられ、一つ目の根っこと なっています。

何よりも大切なことは、守が小さい頃からお菓子づくりや、パン作りを見ることが、

とても好きでした。自己表現が上手く、できない子供だけに・・・

好きなことを生活の一部にして あげたいという思いが 雑木林のパンやさんであり

監督さんという仕事の型になりました。

 

パンやとしての二つ目の根っこは、守を育てるに当たり健康に少しでも良い物 等

自然な材料で生命力のあるものを と心掛けてきたので、パンの材料もおんなじくらい気を つけて作りたいということです。

この様な思いを抱いていると、不思議なくらい色々な情報が我が家に届きました。

そんな中で 大きな情報の一つは何と言っても 江別製粉の国内産小麦はるゆたかです

   その、当時国内産小麦で焼くパンやさんは 私の知る限り

   石川県ではなかったのです。

 

パンやは、二つの根っこを大切にして これからも 中心点行方不明病にならないように 心掛けていきたいと思っています。

これからも 無理のない ゆったりとした お付き合いをよろしくお願いいたします。

   カバのマルコさんが しっぽを失って心と体の病気に・・・獣医さんが

   付けた病名は【中心点行行方不明病】ちゅうしんてんゆくえふめいびよう⁂

   魔女の宅急便の作者  角野栄子さんの造語だそうです。

   この言葉が好きで、時折 使わせてもらっています。

 

   パンやのお客様は ご近所さんはもとより 小松市 金沢市 津幡町

   かほく市 それから富山県からも 何度もおいでくださいました。

 

      緑色の文章は、【お客様へ】のお知らせには載せていません

      ブログに載せるにあたり、少しでも分かってもらえればと

      思いまして( ^ω^)・・・

 

                 1999年 6月

               雑木林のパンやさん  

               監督         大谷守

               パンを作る人「文責」 大谷章子