【 雑木林のパンやさん】 物語

雑木林のパンやさんは、火曜日と木曜日は14年間、土曜日のみは3年間営業していました。17年間、たくさんのお客様に来ていただき、2008年6月末に閉店しました。

マー君のパパは 終戦2年前【1943年】に生まれました。

マー君パパのお父さんは、生まれる前に出征し

一歳の時に戦死しているので、一度も抱っこされたことは、ないそうです。

 小さい頃は、おばーちゃん【マー君パパのお母さん】の実家で

 小学校一年生の一学期まで暮らしていたそうです。

 大きな農家だったので、食べ物には困らなかったそうですが・・・

 おばーちゃんにとっては、複雑な気持ちが積み重なり

 みんなの反対を押し切り、俱利伽羅から金沢へ・・・

 おばーちゃんから、聞いた話では「このまま俱利伽羅で 暮らすのはいやだ」

 と、強く思ったそうです。

 せいちゃん「マー君パパはそう呼ばれていました」と二人、最初は母子寮に入り

 洋裁店に、努めて、それから、いろんな人との出会いがあり、

 郵便局に勤務することになったそうです。

 話は前後しますが、マー君パパは小学生のころ汽車に乗って、おばーちゃんの実家へ

 お米を もらいに行っていたそうです。 

 お米は配給の時代だったので、小さい せいちゃんはそのお米を 大切に抱えて

 持って帰ったそうです。

 そんな経験からマー君パパは、常日頃 反戦平和を口にし、行動もしていたようです

 時折 話すのは金沢市内で安保反対のデモの様子 それから歌声喫茶の様子等々

 話します。

 時々思いだしたかのように・・・歌います。それも一節です。

 我が家では【ひと節 征治】と呼んでいます。マー君も、よーく聞いていたので、

 天国で、

 笑っていることでしよう( ^ω^)・・・

 皆さんもそうでしようが、ウクライナで暮らす人たちのことは気がかりです。

 自己満足かもしれませんが

 ウクライナ大使館へ 人道支援のみに使われると・・・友人から知らせが届きました 三菱UFJ銀行広尾支店 047

 普通 口座番号 0972597

 口座名義 エンバシーオブウクライナ

 へ送金をしています。

 先日 フェアトレードのお店から ハートのブローチを買いました。

 このブローチからのメッセージを届けたいと・・・

 このブラウスに付けました