あなたを知らない
遠い見知らぬ異国で死んだ画学生よ
私は あなたを知らない
知っているのは あなたの遺したたった一枚の絵だ
あなたの絵は朱い血の色でそまっているが
それは、人の身体を流れる血ではなく
あなたが別れた祖国のあのふるさとの夕焼け色
あなたの胸をそめている父や母の愛の色だ
どうか恨まないでほしい
どうか咽かないでほしい
愚かな私たちが あなたが あれほど私たちに告げたかった言葉に
今 ようやく五十年も、経ってたどりついたことを
どうか 許してほしい
五十年を生きた私達のだれもが
これまで一度として
あなたの絵のせつない叫びに耳を傾けなかったことを
遠い見知らぬ 異国で死んだ画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのはあなたが遺した たった一枚の絵だ
その絵に刻まれたかけがえのない あなたの生命の時間だけだ
窪島誠一郎 1997年5月2日
『無言館』 開館の日に