家族に食べてもらいたいと思いながら焼いていたパンを集まりがある度に、いつもの
様に持って行ったところ、同じようなパンを焼いているお店を教えてもらい、さっそく
伺いました。マー君が通っている養護学校の近くにあったのです。
店名は、雑木林のぱん屋さん、一週間に3日間開くんです。当時はとても新鮮でした。
パンは焼けても、お店の事は何にも知りません( ^ω^)・・・
マー君を学校へ送った後、一週間に一度修業・・・いやいやお邪魔させて頂きました。
パンやを開くには、色々用意しなくてはなりません。
全部 新品ではなく中古品をマー君と一緒に何度も見て回り、お店の方とも仲良しにな
り、何点か買いました。
何という事でしよう・・・
いろいろ教えて頂いた雑木林のぱん屋さんが【お店を閉めてこれから本当の雑木林へ行
きます。】と・・・
いろいろ買わなければ―と思っていた、パンやさんの設備を譲ってくださいました。
又しても応援して下さるお気持ちの大きさに、守共々、感謝致しました。
今も、白山ファミリー『野々市の雑木林のパン屋さん』とは いいお付き合いを
させてもらっています。
パン屋として、大切な事 それはパンの材料です。
身体の弱い守を育てるにあたり、健康に少しでも良いものなど自然な材料で生命力のあ
るものを心がけてきたので、パンの材料もおんなじくらい気をつけて作りたいというこ
とです。
このような思いを抱いていると、不思議なくらい色々な情報が私の元に届きました。
そんな中でも、何と言っても嬉しかったのは国内産小麦です。私の知る限り 、当時石
川県には、 国内産小麦で焼いたパンやさんはありませんでした。
その粉 江別製粉のはるゆたかを、倉敷に住んでいた友人 島田えり子さんが送って下さ
ったのです。
応援が手を繋ぐように、マー君と私の元に届きました。
1991年 春の頃
⁂マー君が小学部を卒業した時のおすましの写真です。
この頃から、自宅でパンを焼いていました。
そんな日常からの続きが雑木林のパンやさんへと
繋がったのです。