今年最後のブログは、毎日読んでいる これ等の本から・・・
⁂ 川瀬敏郎 一日一花
『あっぱれな気分で年を終わりたいですね。』と書かれてあります。
花* 仏手柑(ブシュカン)
ブシュカン ミカン科暖地植えられる常緑小木。初夏に白花をつける。
果実は黄色く先端が分裂した形を仏像の手に見立てた。
熊笹(クマザサ)イネ科。九州地方に自生し 鑑賞用に栽培される常緑の竹。
冬は葉の緑が白色に隈取られることが名前の由来。
器* 金銅華瓶 鎌倉時代
⁂ シスター鈴木秀子の 愛と癒しの366日
*言い訳する必要はありません
「だって」、「でも」と言い出したならば、すぐ、自分の行動を正当化しようと
している自分に気づきます。
そして、「どうせ私なんて」というときも、自分を卑下することで正当化しようと
しているのです。
そんなときは自分に、「言い訳したり、正当化しようとしなくてもいいのだよ」と
教えてあげます。
⁂ 鈴木大拙一日一言
*11月19日
偉人と凡人と その1
偉人と凡人に分けて、社会的に両者の間に上下、または優劣、または有力無力などの
区別を立てるのは わけのわからぬ批評だと、自分は信ずる。
社会的に、歴史的に、一人が他よりも、余計に名が出たり、評判がよかったり、
仕事をしたりすると、その人をえらいという。
これがわからぬ。
世間的に評判が立つのは、その時その時の時代的条件の組み合わせ次第で、必ずしも、
その人の人間としての価値如何によらぬ。
*11月20日
偉人と凡人と その2
昔の詩人がいったように、
田舎のお寺の墓場に名も知れず眠っている人々のなかに、その時の英雄とか偉人とか
いわれた人よりも、ずっと人間として、平凡な人間として、村人の間に生活していった
ものが、何人あったかしれぬ。
そのような人びとは決して「凡人」ではなかった。
ただ、周囲の事情の組み合わせ次第で、
社会の表面に祭り上げられなかったというにすぎない。
⁂100分de名著
善の研究 西田幾多郎
ほんの少し 抜粋して・・・
「人は馬鹿者と言われねばエラクないといふてある。実に名言である。」
と西田は、ある日の日記に書いています。
西田にとって 哲学とは、利口者ではなく、ある意味では馬鹿者になる道でした。
『善の研究』を読むのも、聡明な、敏い、誤りのない人間になるためではありません。
世の中から見たら愚かに見えるような道を、愚直に歩けるようになる糸口を見いだす
ことができればと願っています。
名著を読む、真の意味は、言葉という扉を開け、書き手と時空を超えて対話することに
ほかならないのですから。
* この本も追加したのは11月に つるひめさんが金沢へ来られ、鈴木大拙館や
西田幾多郎記念哲学館へ行かれ、詳しくブログに載せてくださったことが・・・
私もこの本を読みテレビを見ていたという うれしい偶然を・・・
ほんの少し
書き留めておきたくなったのです。
めったにない機会で めったにない出会いでした。
ー感謝ー
⁂ 今年もたくさんの方にブログを読んでもらい、あったかいコメントありがとう
ございました。シェアーして下さった方にも感謝しております。
来年もマー君との思い出 今 気になっていること、そして、紹介してもらった
著書を図書館から借りてこようと思うと、ワクワクします。
先ほど読み終わった『カフネ』は年明け早々に返却しに、図書館へ~~。
皆さんにとって良い年でありますように
願っております。