【 雑木林のパンやさん】 物語

雑木林のパンやさんは、火曜日と木曜日は14年間、土曜日のみは3年間営業していました。17年間、たくさんのお客様に来ていただき、2008年6月末に閉店しました。

あっぱれな気分で年を終わりたいですね。

   今年最後のブログは、毎日読んでいる これ等の本から・・・

 

 

     ⁂ 川瀬敏郎 一日一花

『あっぱれな気分で年を終わりたいですね。』と書かれてあります。

花* 仏手柑(ブシュカン) 

   ブシュカン ミカン科暖地植えられる常緑小木。初夏に白花をつける。

   果実は黄色く先端が分裂した形を仏像の手に見立てた。

 

   熊笹(クマザサ)イネ科。九州地方に自生し 鑑賞用に栽培される常緑の竹。

   冬は葉の緑が白色に隈取られることが名前の由来。

 

器* 金銅華瓶  鎌倉時代

 

 

    ⁂ シスター鈴木秀子の 愛と癒しの366日

*言い訳する必要はありません

「だって」、「でも」と言い出したならば、すぐ、自分の行動を正当化しようと

している自分に気づきます。

そして、「どうせ私なんて」というときも、自分を卑下することで正当化しようと

しているのです。

そんなときは自分に、「言い訳したり、正当化しようとしなくてもいいのだよ」と

教えてあげます。

 

 

     ⁂ 鈴木大拙一日一言

*11月19日

 偉人と凡人と その1

偉人と凡人に分けて、社会的に両者の間に上下、または優劣、または有力無力などの

区別を立てるのは わけのわからぬ批評だと、自分は信ずる。

社会的に、歴史的に、一人が他よりも、余計に名が出たり、評判がよかったり、

仕事をしたりすると、その人をえらいという。

これがわからぬ。

世間的に評判が立つのは、その時その時の時代的条件の組み合わせ次第で、必ずしも、

その人の人間としての価値如何によらぬ。

 

*11月20日

 偉人と凡人と その2

昔の詩人がいったように、

田舎のお寺の墓場に名も知れず眠っている人々のなかに、その時の英雄とか偉人とか

いわれた人よりも、ずっと人間として、平凡な人間として、村人の間に生活していった

ものが、何人あったかしれぬ。

そのような人びとは決して「凡人」ではなかった。

ただ、周囲の事情の組み合わせ次第で、

社会の表面に祭り上げられなかったというにすぎない。

 

 

⁂100分de名著

  善の研究  西田幾多郎

 ほんの少し 抜粋して・・・

「人は馬鹿者と言われねばエラクないといふてある。実に名言である。」

               (西田幾多郎全集 19巻、岩波書店

と西田は、ある日の日記に書いています。

西田にとって 哲学とは、利口者ではなく、ある意味では馬鹿者になる道でした。

善の研究』を読むのも、聡明な、敏い、誤りのない人間になるためではありません。

世の中から見たら愚かに見えるような道を、愚直に歩けるようになる糸口を見いだす

ことができればと願っています。

 

名著を読む、真の意味は、言葉という扉を開け、書き手と時空を超えて対話することに

ほかならないのですから。

 

* この本も追加したのは11月に つるひめさんが金沢へ来られ、鈴木大拙館や

  西田幾多郎記念哲学館へ行かれ、詳しくブログに載せてくださったことが・・・   

  私もこの本を読みテレビを見ていたという うれしい偶然を・・・

  ほんの少し

  書き留めておきたくなったのです。

  めったにない機会で めったにない出会いでした。

                    ー感謝ー

 

⁂ 今年もたくさんの方にブログを読んでもらい、あったかいコメントありがとう

  ございました。シェアーして下さった方にも感謝しております。

  来年もマー君との思い出   今  気になっていること、そして、紹介してもらった

  著書を図書館から借りてこようと思うと、ワクワクします。

  先ほど読み終わった『カフネ』は年明け早々に返却しに、図書館へ~~。

 

  皆さんにとって良い年でありますように

                願っております。