トルストイ翻訳家 北御門二郎さん「きたみかど」
朝日新聞 2004年8月30日 の記事から
文豪の言葉、実践し伝道
【僕は、実際にトルストイに会ったことはないのです】
小さな秘密を打ち明けるような口調だった。4年前、熊本県水上村に
北御門さんを訪ねた時のことだ。歴史上の文豪をそこまで身近に感じていることが、
すぐには理解できずに冗談かと思った。
17歳で【イワンの馬鹿】に出会い、トルストイが説く【絶対的非暴力】の追及を
誓う。人に殺されても人を殺したくない、と兵役も勤労動員も拒否。
大学を中退して農業を初め、50歳近くになって翻訳を始めた。
トルストイだけ訳し続けた。 【戦争と平和】 【アンナ・カレーニナ】 【復活】
の3部作で日本翻訳文化賞を受けた。
昨年末から今年2月にかけて【文読む月日】が文庫化された。
1日1章、本人と古今の賢人の警句365日分をトルストイが編んだ名言集だ。
トルストイの言葉を大勢の人に読んでもらえる、と文庫化を格別喜んだが、視力が
弱って自分で読むことは難しかった。
同居する長男の妻たえ子さん「48] が元旦から音読を始めた。毎晩夕食後に1章。
北御門さんが解説や思い出話を続けた。
5月21日。その日のカントの一説に「金剛石」の一言があった。
「どんな石」と、たえ子さんに聞かれ、ダイアモンドと、答えるかわりに楽しげに
歌いだした。
金剛石もみがかずば
たまの光はそわざらん
学問の大切さを教える明治時代の歌だった。
翌朝ショートステイへ。
そのまま入院し、帰らぬ人となった。
4年前の取材の時も北御門さんは、歌をうたってくれた。
京の五条の橋の上‥・・・
弁慶と牛若丸の物語を3番まで歌ったあと、こう言った。
「なぎなたを試すために人を殺した頃に比べれば、今は優しい時代です。
人類は全体に人殺しをしない方向に向かっていると僕は、信じています」
「湯瀬 里佐」
北御門二郎さんは、2004年 7月17日午前3時25分に「急性肺炎」で
お亡くなりになりました。91歳でした。
あの世にいる. そばに行けると思うと楽しみです。
よく夢に出てきたというトルストイと、もう会えたのだろうか。
より抜粋しました。
⁂ 文読む月日 10月13日
偉大な賢人が権力を持つとき、
人民は その存在に気づかない。
たいして賢くない人が権力を持つとき、
人民は彼の命に従い、彼を褒めそやす。
もっと賢くない人の場合は、人民はこれを恐れる。
さらにもっと賢くない人の場合は、人民はこれを軽蔑する。
【老子】