【 雑木林のパンやさん】 物語

雑木林のパンやさんは、火曜日と木曜日は14年間、土曜日のみは3年間営業していました。17年間、たくさんのお客様に来ていただき、2008年6月末に閉店しました。

ある徴兵拒否者の歩み 北御門二郎

   トルストイ翻訳家  北御門二郎さん「きたみかど」

                   

   

 

  朝日新聞 2004年8月30日 の記事から

 

   文豪の言葉、実践し伝道

  【僕は、実際にトルストイに会ったことはないのです】

  小さな秘密を打ち明けるような口調だった。4年前、熊本県水上村

 北御門さんを訪ねた時のことだ。歴史上の文豪をそこまで身近に感じていることが、

 すぐには理解できずに冗談かと思った。

  17歳で【イワンの馬鹿】に出会い、トルストイが説く【絶対的非暴力】の追及を

 誓う。人に殺されても人を殺したくない、と兵役も勤労動員も拒否。

 大学を中退して農業を初め、50歳近くになって翻訳を始めた。

 トルストイにならった晴耕雨読

 トルストイだけ訳し続けた。 【戦争と平和】 【アンナ・カレーニナ】 【復活】

 の3部作で日本翻訳文化賞を受けた。

  昨年末から今年2月にかけて【文読む月日】が文庫化された。

 1日1章、本人と古今の賢人の警句365日分をトルストイが編んだ名言集だ。

  トルストイの言葉を大勢の人に読んでもらえる、と文庫化を格別喜んだが、視力が

 弱って自分で読むことは難しかった。

 同居する長男の妻たえ子さん「48] が元旦から音読を始めた。毎晩夕食後に1章。

 北御門さんが解説や思い出話を続けた。

  5月21日。その日のカントの一説に「金剛石」の一言があった。

 「どんな石」と、たえ子さんに聞かれ、ダイアモンドと、答えるかわりに楽しげに

  歌いだした。

     金剛石もみがかずば

     たまの光はそわざらん

  学問の大切さを教える明治時代の歌だった。

  翌朝ショートステイへ。

  そのまま入院し、帰らぬ人となった。

  4年前の取材の時も北御門さんは、歌をうたってくれた。

     京の五条の橋の上‥・・・

  弁慶と牛若丸の物語を3番まで歌ったあと、こう言った。

  なぎなたを試すために人を殺した頃に比べれば、今は優しい時代です。

  人類は全体に人殺しをしない方向に向かっていると僕は、信じています」

                           「湯瀬 里佐」

 

 

 

    北御門二郎さんは、2004年 7月17日午前3時25分に「急性肺炎」で

    お亡くなりになりました。91歳でした。

    トルストイソクラテスもカントも イエスも 釈迦も 老子

    あの世にいる.   そばに行けると思うと楽しみです。

    よく夢に出てきたというトルストイと、もう会えたのだろうか。

            朝日新聞 2004年「平成16年」7月18日 天声人語 

                             より抜粋しました。

 

          

         

         文読む月日    10月13日

         偉大な賢人が権力を持つとき、

         人民は その存在に気づかない。

         たいして賢くない人が権力を持つとき、

         人民は彼の命に従い、彼を褒めそやす。

         もっと賢くない人の場合は、人民はこれを恐れる。 

         さらにもっと賢くない人の場合は、人民はこれを軽蔑する。

                              老子