【 雑木林のパンやさん】 物語

雑木林のパンやさんは、火曜日と木曜日は14年間、土曜日のみは3年間営業していました。17年間、たくさんのお客様に来ていただき、2008年6月末に閉店しました。

志賀原発は輪島の南で隣町に所在します。

 能登半島地震。 日がたつにつれて考えられないような津波被害 停電 断水 

寸断された道路~~地盤沈下 隆起等々 想像をはるかに超えた災害に心痛くなります。

避難先での大変さ~~救援活動をしてくださっている方への感謝~~

そんな思いをしながらも ~~

志賀原発が稼働していなかったことが 本当に良かったと 日を追うごとにそんな思い

が強くなります。

 

 

有為自然さんとのコメントのやり取り・・・は

 

 

 

  1月7日 有為自然さんのブログ【震度6強】の体験 もしも・・・

                なぜ 地震多発地帯に原発を?

 

  その記事のコメント欄に 私がコメントを書きました。

    

    ホント同感です。

 

 稼働していなかったのは~~東日本大震災の沢山の犠牲者と 今まだ故郷へ帰る事の

できない切なさを~~抱えた人達。 そして廃炉にするように・・・声を挙げ続けてい

る人達のお陰だと 私は思っています。

 

何としても ドイツの様に脱原発を・・・願うだけではダメですね。

昨晩 珠洲から 8時間かけて帰ってきたご夫婦と 話をしていて・・・

やっぱり選挙です。

投票に行くことです。

 

    有為自然さんからのコメントには・・・

マー君ママさん

志賀原発が稼働していたら 大変なことになっていたことでしょう。

モニターは作動していないところは たくさんあるし 道路も寸断されているのですから。

おどろいたのは【珠洲原発】の計画があったということです。

全く知りませんでした。

 

福島原発の記憶を消し去り 再稼働させようとしている政財界。

今日の地震のことをふまえて 原発がいかに 危険なものであるかを少しでも

多くの人に伝えていけたらと思っています。

そして 投票に実らせるようにしましょう。

  というコメントを頂きました。

 

 

   私から・・・

有為自然さん そうなんです。

関西電力 中部電力 北陸電力が 作ろうとしていたのが 珠洲原発だったのです。

その時の 住民の頑張っている姿を 友人である 赤井朱美さんがドキュメンタリーとして制作しました。

 

その作品は 【能登の海 風だより】1993年に制作されました。

 

能登の海風だより】は

 * 芸術作品賞

 * 放送文化基金賞優秀賞

 * FNSドキュメンタリー大賞

 * 地方の時代賞 映像コンクール優秀賞

 * ギャラクシー賞奨励賞

 * 第2回地球環境映像祭 社会環境映像賞

 * NY、フライブルグで上映 されました。

 

その映像は おばちゃんたちの生き方・・・

日常生活から 大切なことを理屈ではなく 生活すること していることが

力強く 笑顔も誘う 作品になっています。

  とコメントを書きました。

 

 

   有為自然さんからのコメント・・・

この作品を観たいですね。

また、より多くの方に観てもらう静かな運動が起きたらと思います。

 

 

    私から・・・

 有為自然さん

この作品は見てもらいたいとおもいます。

赤井朱美さんに電話をかけて 聞いたところ

横浜 放送ライブラリーへ行けば 見ることができるそうです。

ホント そんな運動が起きてほしいです。

ありがとうございます。

 

 

     有為自然さんから・・・

  マー君のママさんへ

赤井朱美さんに電話をして下さるなどして

視聴するための情報をありがとうございます。

横浜放送ライブラリーに行くには 我が家から2時間ほどかかることがわかりました。

3回 乗り換えのようです。

暖かくなりましたら 機会を見て 見に行こうと思いました。

その時は報告します。

北陸3県は、まだ一度も足を踏み入れたことがなく、私にとっては遠い存在でした。

これを機会に、いろいろ知ろうと思いました。

詳しく 丁寧な情報 本当にありがとうございました。

     とのコメントをいただきました。

 

 

 ⁂ 有為自然さんからの問いかけで~~~

おどろいたのは【珠洲原発】の計画があったということです。全く知りませんでした。

このようなコメントをいただいたので 私も思いがけずいろいろ書くことができました。

ありがとうございました。

 

有為自然さん 何かとお忙しい中 横浜放送ライブラリーまで 3回の乗り換えをして

2時間もかかるのですね ご無理をしないでくださいね。

 

 

* 地元地権者の反対する意志の強さと 反対する住民の結束力

  でした。

 

                 マー君と赤井さんとの関係は・・・

 

                ドキュメンタリーを何本もつくっている

                赤井さんは 編集は東京で・・・

                時折 編集中に電話があり マー君 に変わって

                ほしいと・・・固定電話の受話器をマー君の耳元   

                へ・・・話しかけてくださっているのが伝わり

                ました。

                マー君は いつも ではないのですが、

                身体をぴくぴくさせたり アーアーと声を出して

                いました。「わかるようです」

                後に赤井さんは マー君と話すと なんか 気持ち

                が らくーになるのよ~~~と

                         その時のことを思い出します。