【 雑木林のパンやさん】 物語

雑木林のパンやさんは、火曜日と木曜日は14年間、土曜日のみは3年間営業していました。17年間、たくさんのお客様に来ていただき、2008年6月末に閉店しました。

思い出 【東北の旅】1997年8月18日 その 1

 

 






その年の年賀状には

  征治  8月、家族で念願の東北へ旅行

      宮沢賢治ゆかりの地を巡り確認したことが一つ

      【雨ニモ負ケズ・・・】の一節の 日デリは、原稿では 日ドリ

      となっていました。「日取りとは方言で日雇いのことを言うそうです」

 

  章子  10月に実母が天国へ旅立ちました。

      老人性痴呆症と診断されてから、グループホームへ入所しました。

      私とマー君は、度々会いに行き、ありのままの母と向かい合い

      昔話を聞きながら 心の深いところにあるキラッと輝く言葉に

      出会ったことが、私の宝物になりました。

 

  守   細川律子さんの語りを 何度も聞いた賢治の世界、

      花巻の地で感じたものは何だったのでしょうか・・・

      帰宅してパンやの戸を開けた時の ニカッ と笑った顔が、

      印象的でした。

 

                       ⁂母とのことを 書いてみようと思ったことが、何だか不思議・・・

                           明日 23日はお彼岸だからかしら・・・

      ⁂ 認知症になった母に会いに行くのが楽しみになったのは

        昔の話を いきいきと語ることに気付いてからです。

 

        戦争も体験しているのに・・・いきいきと語るのです。

        私は聞きながら ヘーそうなんだ! 偉いねーと

        何度 言ったことか・・・

        会いに行くたびに 続きをマー君といっしよに聞いていました。

 

        亡くなる少し前に

        不意に 母さん【天国にいったら誰に逢いたい?】と聞いたところ

        【章子に会いたい】と言うのです

        私は 「そうではなくて とうさんや おばーちゃん それから

        けいこちゃん に会いたい?」と聞くとまた【章子】と言うのです。

        その時 私は 母さんは愉しい記憶を思い出したのかしら・・・

        などと 心の揺れを感じながら 想像しながら 助手席にいる

        マー君に聞きながら帰宅しました。

                         

        

        夫が仕事から帰るのを待って そのことを話すと「何という事を

        聞いたんだ」と言うのです。

 

        私は そうかなぁ~ と 思い ある日 信頼している年配の方に

        その話をすると・・・

        【いいですねー僕もそんな話をしたいもんだ】と

        仰ったのです。なんか心の引っ掛かりが無くなり・・・

 

        私は意を強くして、一週間後に母に会いに行き おんなじことを

        もう一度聞いたところ 【あきこ 何を変なこと 聞くの~】と                                      

        言ったのです。

        あの日 あの時 だったからこそ なんですね~

        忘れられない大切な思い出です。

 

   ⁂ 長々と読んでくださりありがとうございました。