【 雑木林のパンやさん】 物語

雑木林のパンやさんは、火曜日と木曜日は14年間、土曜日のみは3年間営業していました。17年間、たくさんのお客様に来ていただき、2008年6月末に閉店しました。

わが内なるゴーシュ 中村哲 愚直さが踏みとどまら せた現地     その2 

  小生が特別にこの賞を光栄に思うのには訳があります。

この土地で「なぜ二十年も働いてきたのか。その原動力は何か」と、

しばしば人に尋ねられます。人類愛というのも面映ゆいし、

道楽だと呼ぶのは余りにも露悪的だし、自分にさしたる信念や

宗教的信仰がある訳でもありません。良く分からないのです。

でも返答に窮したときに思い出すのは、賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の話です。

セロの練習という、自分のやりたいことがあるのに、次々と動物たちが現れて

邪魔をする。仕方なく相手しているうちに、とうとう演奏会の日になってしまう。

てっきり楽長に𠮟られると思ったら、意外にも賞賛を受ける。

  私の過去二十年も同様でした。

決して自らの信念を貫いたのではありません。

専門医として腕を磨いたり、好きな昆虫観察や登山を続けたり、日本でやりたいことが

沢山ありました。それに、現地に赴く機縁からして、登山や虫などへの興味でした。

 

天から人への問いかけ

 幾年か過ぎ、様々な困難・・・

日本では想像できぬ対立、異なる文化や風習、身の危険、時には日本側の無理解に

遭遇し、幾度か現地を引き上げることを考えぬでもありませんでした。

でも自分なきあと、目前のハンセン病患者や、旱魃にあえぐ人々はどうなるのか、

という現実を突き付けられると、どうしても去ることが出来ないのです。

無論、なす術が全くなければ別ですが、多少の打つ手が残されておれば、

まるで生渇きの雑巾でも絞るように、対処せざるを得ず、月日が流れていきました。

自分の強さではなく、気弱さによってこそ、現地事業が拡大継続しているというのが

真相であります。

  よくよく考えれば、どこに居ても、思い通りに事が運ぶ人生はありません。

予期せぬことが多く、「こんな筈ではなかった」と思うことのほうが普通です。

賢治の描くゴーシュは、欠点や美点、醜さや気高さを併せ持つ普通の人が、

いかに与えられた時間を生き抜くか、示唆に富んでいます。

遭遇する全ての状況が・・・古くさい言い回しをすれば・・・

天から人への問いかけである。

それに対する応答の連続が、即ち私たちの人生そのものである。

その中で、これだけは人として最低限守るべきものは何か、伝えてくれるような

気がします。それゆえ、ゴーシュの姿が自分と重なって仕方ありません。

  私たちは、現地活動を決して流行りの「国際協力」だとは思っていません。

地域協力とでも呼ぶ方が近いでしょう。

天下国家を論ずるより、目前の状況に人としていかに応ずるかが関心ごとです。

  世には偉業をなした人、才に長けた人はあまたおります。

自分のごとき者が賞賛の的になるなら、他にも・・・・と心底思います。しかし、

この思いも「イーハトーブ」の世界を心に刻んだ者なら、

「この中で、馬鹿で、まるでなってなくて、頭のつぶれたような奴が一番偉いんだ

・・どんぐりと山猫・・」という言葉に慰められ、一人の普通の日本人として、

素直に受賞を喜ぶものであります。

どうもありがとうございました。

 

     *本文は去る九月二十二日、岩手県花巻市で行われた宮沢賢治学会主催

      イーハトーブ賞受賞式において、欠席した中村医師に変わり出席した

      福元広報担当理事によって代読されたものです。

 

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