読んで下さった方 ありがとうございます。
読みやすいように、書き写すことにしました。
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すてきな庭のあるパンやさん
・・・四季を通じて多くの人が花や緑を楽しんでいます・・・
私は現在金沢市「日本のほぼ中央に位置する」に近い小さな町で
家族と穏やかで前向きな日々を送っています。ここで、重度の障がい
を持つ息子「守」と私とで小さなパン屋を開いています。自宅でやっている
この店は週二日「火曜日と木曜日」だけ開いています。
私が仕事をしている間 守は私の近くにいて、パンの焼けるまでの過程と
私の働きぶりを見守っています。彼の視線を背後に感じながら、
私は全力をつくしています。
パンを焼いたり 売ったりしながらも、地域の多くのお客さんと交流
できるので、私達は幸せな時間が持てています。守もいつも賑やかな
人の出入りの中にいて、私やみんなの活気のある おしゃべりに耳をかたむけています。 この雰囲気が好きなようです。
この店にやって来るみんなも 守 と自然なかかわりがあります。
【雑木林のパンやさん】というのが店の名前です。
名前のとうり 店の回りには木立や花が多くあり、私達は健康的で静かな毎日を
送っています。このような いい環境のもとで、私達の店はすべての人 とりわけ
近所の人に オープンにしています。かって守の友達がパン焼きを習いにきたことも
ありましたし、本がたくさん置いてある こともあって学校を終えた子供たちが
立ち寄って本を読んだり しゃべったりしていきます。彼等も他の人とのふれあいを
喜んでいます。
大人たちもいろいろな情報を持ちよって来てくれて、情報や意見の交換の 場 となっています。時には原子力発電の危険性や、地球環境の汚染の問題なども話し合いました。 それに私達はパンの材料にもこだわっています。できるだけ添加物や残留農薬の
少ないものを使いたいと思っています。なかでも一番の材料である小麦粉は北海道の
協力農家と契約している製粉会社から取り寄せています。
こんな今の状態になるまでに、20年以上もの長い年月がかかりました。
生まれた子「守」が重度の障がいを持っていると わかった時の、若い私達夫婦の
悩み 苦しみがどんなものだったかは想像してもらえると思います。 まだまだ
迷い苦しんでいた時、私の夫が 【障がいを持った子なら、よけいに育てがいが
あるよ】と言ってくれた この言葉に励まされてきました。
そして、同じ障がいのある子を持つ親たちや、前向きに生きている たくさんの
友達に支えられて今があります。この方々の友情と忠告に感謝しています。
この年月を振り返ってみて、今 気付くことがあります。それは
私は一生懸命障がいのある息子 守 を育ててきたつもりでいました。けれども、
そうではなく、障がいのある子をもったがために自分を励まし 前向きに生きて
これたような気がしているのです。守は私達家族を強くしてくれました。そして、
より広い世界を見せてくれた守に感謝です。これからも協力しあっていきます。
昨年 テレビで、日本での公演のためカナダからやってきていた
「フェイマス・ピープル・プレイヤーズ」のことを、知りました。
障がいのある人たちが人形を使って いきいきと巧みに活動しているのを見て
私はとても感動しました。ぜひこの目で実際の劇や、団員の生活を見てみたいと
思いました。そして、日本よりカナダのほうが障がいを持つ人達には暮らしやすいと
聞いていますから、実際に身をもって体験できることを楽しみにしています。
私は今度の家族旅行をとうして、これからの新たな夢が見つけられたらいいな と
思っています。
大谷 章子
1998年 7月
今から25年前の文章は
障害者という漢字を使っていました。いつの頃からか・・・
害 のある人ではないので 障がい者と書くようになったのです。
今回 書き写すに あたり 障害者とはどうしてもかけず・・・
障がい者という文字入力にしました。