【 雑木林のパンやさん】 物語

雑木林のパンやさんは、火曜日と木曜日は14年間、土曜日のみは3年間営業していました。17年間、たくさんのお客様に来ていただき、2008年6月末に閉店しました。

1月28日カナダへ行くまでのストーリー【その4】に載せた 日本語の紹介文は私が読んでも 読みづらいです。🙇

 読んで下さった方 ありがとうございます。

 読みやすいように、書き写すことにしました。

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        すてきな庭のあるパンやさん

・・・四季を通じて多くの人が花や緑を楽しんでいます・・・

 

 私は現在金沢市「日本のほぼ中央に位置する」に近い小さな町で

家族と穏やかで前向きな日々を送っています。ここで、重度の障がい

を持つ息子「守」と私とで小さなパン屋を開いています。自宅でやっている

この店は週二日「火曜日と木曜日」だけ開いています。

私が仕事をしている間 守は私の近くにいて、パンの焼けるまでの過程と

私の働きぶりを見守っています。彼の視線を背後に感じながら、

私は全力をつくしています。

 パンを焼いたり 売ったりしながらも、地域の多くのお客さんと交流

できるので、私達は幸せな時間が持てています。守もいつも賑やかな

人の出入りの中にいて、私やみんなの活気のある おしゃべりに耳をかたむけています。 この雰囲気が好きなようです。

この店にやって来るみんなも 守 と自然なかかわりがあります。

  【雑木林のパンやさん】というのが店の名前です。

名前のとうり 店の回りには木立や花が多くあり、私達は健康的で静かな毎日を

送っています。このような いい環境のもとで、私達の店はすべての人 とりわけ

近所の人に オープンにしています。かって守の友達がパン焼きを習いにきたことも

ありましたし、本がたくさん置いてある こともあって学校を終えた子供たちが

立ち寄って本を読んだり しゃべったりしていきます。彼等も他の人とのふれあいを

喜んでいます。

 大人たちもいろいろな情報を持ちよって来てくれて、情報や意見の交換の 場 となっています。時には原子力発電の危険性や、地球環境の汚染の問題なども話し合いました。 それに私達はパンの材料にもこだわっています。できるだけ添加物や残留農薬

少ないものを使いたいと思っています。なかでも一番の材料である小麦粉は北海道の

協力農家と契約している製粉会社から取り寄せています。

 こんな今の状態になるまでに、20年以上もの長い年月がかかりました。

生まれた子「守」が重度の障がいを持っていると わかった時の、若い私達夫婦の

悩み 苦しみがどんなものだったかは想像してもらえると思います。 まだまだ

迷い苦しんでいた時、私の夫が 【障がいを持った子なら、よけいに育てがいが

あるよ】と言ってくれた この言葉に励まされてきました。

そして、同じ障がいのある子を持つ親たちや、前向きに生きている たくさんの

友達に支えられて今があります。この方々の友情と忠告に感謝しています。

 この年月を振り返ってみて、今 気付くことがあります。それは

私は一生懸命障がいのある息子 守 を育ててきたつもりでいました。けれども、

そうではなく、障がいのある子をもったがために自分を励まし 前向きに生きて

これたような気がしているのです。守は私達家族を強くしてくれました。そして、

より広い世界を見せてくれた守に感謝です。これからも協力しあっていきます。

 

 昨年 テレビで、日本での公演のためカナダからやってきていた

「フェイマス・ピープル・プレイヤーズ」のことを、知りました。

障がいのある人たちが人形を使って いきいきと巧みに活動しているのを見て

私はとても感動しました。ぜひこの目で実際の劇や、団員の生活を見てみたいと

思いました。そして、日本よりカナダのほうが障がいを持つ人達には暮らしやすいと

聞いていますから、実際に身をもって体験できることを楽しみにしています。

私は今度の家族旅行をとうして、これからの新たな夢が見つけられたらいいな と

思っています。

 

                              大谷 章子

                              1998年 7月

 

    今から25年前の文章は

   障害者という漢字を使っていました。いつの頃からか・・・

   害 のある人ではないので 障がい者と書くようになったのです。

   今回 書き写すに あたり 障害者とはどうしてもかけず・・・

   障がい者という文字入力にしました。