【 雑木林のパンやさん】 物語

雑木林のパンやさんは、火曜日と木曜日は14年間、土曜日のみは3年間営業していました。17年間、たくさんのお客様に来ていただき、2008年6月末に閉店しました。

体験することは学習すること・・・

義母は若い頃より 生け花を習っていたのです。

嵯峨御流 師範の資格を取得した時の写真です。

 

 

グループホームへ入所する事を受け入れたことは 時折忘れるのですが・・・

入所することをイヤだと一度も言わなかったことを 今思い出しながら・・・

 

認知症の方はそうである様に 過去のことは よーく覚えているのですが

今 さっきのことは 覚えていないんです。義母もそうでした。

お母さんとの会話で忘れられないのは 「よーく忘れるんやー」と時折言っていました

私はその度に「何でも覚えていたら大変・・・忘れてもいいんじゃなーい」と言うと

「それも そうやねー」と言う 会話は何度もしました。

 

私自身は、息子もそうであったように・・・

又 実母も認知症になり 入所施設へ毎週 通っていて・・いつのころからか

昔話を聴くことが 楽しみになっていた・・・ 思い出があるのです。

私にとって ありのままを 受け入れることが そんなに むずかしい事ではありませ

んでした。

         体験することは 学習すること・・・

 

⁂ 義母が入所したグループホームの紹介

3階建てで、前回ブログに載せたように 新しい建物だったので お母さんも

機嫌よく 入所しました。

それぞれの階に 9人ずつのグループホーム

個室には ベット 洋服ダンス キャビネット そして 丸いテーブル

ホテルの一室 そんな雰囲気でした。

お母さんのお部屋は3階で エレベーターを降りると

ホールになっていて 真ん中に大きなテーブルがあり ソファーもあり 台所もありました。

そのスペースは お食事をしたり テレビを見たり おしゃべりをしたり・・・

お食事のあとは 洗い物の手伝いをしている人もいました。

それぞれのお部屋は回廊から入るようになっていました。

 

ある日 お母さんに会いに行くと 月に一度お茶の先生が来られる その日でした。        

上生菓子とお抹茶を「お召し上がりください」と言われると深くお辞儀をしてから

美味しそうに召し上がっている 人達はいいお顔です。

お母さんは と思い目を転じると お点前をしていました。

身のこなしが 自然で 長年お稽古に通っていたからこそ なんでしょうね

身体で覚えたことは 忘れていないようです。

 

グループホームの近くにマーケットやお食事処があったので お母さんと一緒に

ランチをすることができました。

そんな ゆったりした時を持てたのは 義母の家へ行くよりも近くなったことと

いろんな 用事 や お伺いに 時間をかけなくて済むようになったことです。

 

夕方からマー君と一緒に行けるようにもなり・・・より一層グループホームの人たちや

ヘルパーさんとも仲良しになり パンやをしていることを話すと皆さん興味津々・・・

 ある日 パン屋の日にヘルパーさんが グループホームのお仲間と一緒に

パンやへ来てくださったこともありました。義母はニッコニッコの顔でお店にはいって

きました。午後からだったのでパンは売り切れだったのですが、お部屋にあがってもら

い 我が家用に取りおいていた アンパンと紅茶をお出しして( ^ω^)・・・

昔話をいっぱいお聞きしたこと・・・ その雰囲気を覚えています。みんな 昔のこと

を喋ると饒舌になります。

楽しい思い出です。

帰り際に ヘルパーさんが 大谷さんが「パンやを手伝っていた」と時々言っていたの

で どうしても来たかったとのこと・・・

へーそんなことを 言っていたんだ・・・と 手伝ってもらってはいないのですが・・

手伝いをしたかったのかしら・・・❓

 

   思い出すと ニコッとなること あれこれ・・・

皆さんそれぞれ 個性的で 魅力的でした。

無口な人 手先の器用な人  歌の上手な人 

歌の好きな人は たいていホールにいらして よーく演歌を歌ってくださいました。

時間のある時は 何曲でも歌ってくれます。やっぱり好きだから忘れていないようです

 

もうお一人は

いつも ホールのテーブルいっぱいに 新聞を広げて読んでいる方も・・・

「こんにちわ」とマー君と一緒にホールへ入っていくと・・・メガネを頭に乗せ

ニコッと 優しさに満ちた笑顔で挨拶をしてくださる おじいちゃん

忘れません( ^ω^)・・・

 

もうお一人 極めつけの可愛いおばーちゃん

最初のびっくりは  マー君と一緒にホールへ入っていくと

「よー来たねー まぁ ひと風呂浴びていくまっしー」と

声をかけられたのです。「エッ」と思い ヘルパーさんの顔を見ると

旅館の女将さんを長年にわたりしていらした方だと~ なーるほど

身のこなしも喋り方も 気働きをされてきた女将さん( ^ω^)・・・

夫も言われた事があるらしく 今もその話になると 笑顔になります。

 

そんな グループホームのお仲間と関わりながらも

やっぱり 家がいいに決まっていると思い・・・金沢の家へ行ってのお泊りは,  家族

みんなの移動となるので無理だと思い  辰口のわが家での外泊をしていました。

 

連休やお正月は必ず 一緒にすごしました。

だんだん 認知もひどくなり ふらりと出ていくことが目立つようになり

夜に 出ていくと 大変なので 寝るときは 義母の手首と私の手首を

紐で結んで 寝たこともあります。

夫は一度 寝ると よほどのことがない限り起きることができないので

役に立ちません( ^ω^)

 

夫は会いに行く時はいつもお母さんの好物のメロンを持って行っていたのですが・・・

しょっちゅうは無理だと思っていたところ・・・4分の1にカットしたメロンをマーケッ

トで見つけたことを・・・得意げに話していたことも 思い出します。

私もそんなメロンを よーく持って行きました。

 

90歳を超えた

お母さんは 体調不良になることが多くなり ほとんど 隣にある病院へ入院。

夫が主治医の先生から 呼ばれ 終末期医療について話し合いを何度かしました。

大まかに 言うと 胃瘻はしないことと 本人に痛い思いは させたくないことは

伝えたと言っておりました。

病院から 危篤ですからいらしてください。との

連絡を受けるたびに マー君を迎えに行くことが何度かありました。

意識がないお母さんに語り掛けながら・・・点滴の針の跡が紫色になっている

身体を見るのは 本当に辛かったです。

毎日のように誰かが会いに行っていたのですが・・・

気がかりな日々を送っていた中・・・

夫がジムについたその時に 携帯が鳴り 直ぐに病院へかけつけ 看取りをすることが

できました。一人息子の夫が見送りができたことが 本当に良かったです。

 

      2015年 9月28日  92歳   天国に旅立ちました。

 

   2年前に7回忌がおわりました。

   いろいろありましたが、この様にブログに載せることが出来た事

   読んでくださる方がいらっしやる事は 義母を知ってもらうことでもあります。

   ありがとうございます。

 

      知人からの言葉

        いない、けど

        いる。

        この不思議・・・

 

     

 

    ⁂  認知症になった実母との思い出深い 会話・・・

momo2448.hatenablog.com