【 雑木林のパンやさん】 物語

雑木林のパンやさんは、火曜日と木曜日は14年間、土曜日のみは3年間営業していました。17年間、たくさんのお客様に来ていただき、2008年6月末に閉店しました。

上高地の思い出 旧釜トンネルのことを・・・

   梓川沿いを早朝に散歩している写真です。ポストカードにもしています。

 

  【上高地への門】

 釜トンネルは上高地へ通ずる唯一の車道です。

そのトンネルが特異とされるのは その狭さと勾配と屈曲です。

トンネル内は一車線 片道通行での運用です。

15分ほどの信号待ち・・・

マー君と一緒に行くときは いつも平湯から上高地までシャトルバスではなくタクシーを 利用していました。

いつ頃だったでしょうか❓ タクシーに乗り、旧釜トンネルの信号待ちをしている時

タクシードライバーさんが ポツリ・・・と

「このトンネルは朝鮮の方が手掘りで作ってくださった

 トンネルなんですよ」と・・・

その話を聞いた時  夫も私も あっ そうなんですか!と すぐには

言葉らしい 言葉がでてきませんでした。

頭を よぎるのは 過酷な労働と差別です。

ドライバーさんに 教えてくださって ありがとうございました。と

お礼を言うのが 精いっぱいでした。

その時のことは 今も 蘇ります。

 

 2005年7月2日 新たな釜トンネルは 二車線が確保されました。

梓川沿いに 黙して語らない旧釜トンネル。

朝鮮のかたの汗と涙が 詰まった旧釜トンネル。

その話を伺ってから 2004年まで・・・毎シーズン 旧釜トンネルを通る度に

合掌し・・マー君に朝鮮の方のご苦労を語りながら 通りぬけました。

 今 このブログを書くにあたり

トンネルで作業された朝鮮の方の記事をネットで探したのですが、ほんの数行だけしか

見つけることができませんでした。

 

  その記事は

【 実際 朝鮮の方は かなりの人数使役されていた 】

とだけ書かれていました。

使役とは

上下関係のある場面で 立場の上の人が立場の下の人に~~をしなさいと無理矢理

させるときに使われる。との事・・・強制です。

 

 旧釜トンネルを思うことは

朝鮮の方への申し訳なさを思うことです。

かの地へ家族で何度も行き 清々しい空気をすいながら、早朝の散歩を

することが出来たことへの感謝は・・・

歴史から目を背けないことだと自身に言い聞かせています。

 

 

  義母と一緒にアルペンホテルに泊まった時の写真

 ホテルの庭にお猿さんが遊びに来ていてそれを見て笑っているおばあちゃん。

 前回のブログでもお猿さんのことを書きましたが( ^ω^)・・・

 上高地のお猿さんは 悪さは しないのです。

 木の実など食べ物が いっぱいあるからでしょうね( ^ω^)・・・

 

 

 

  ビジターセンター近くを散歩中 望遠鏡で穂高の【 独標 】を見せてくださった

  ボランティアの方との出会いは嬉しい思い出です。

  何度も何度も微調整して マー君に 独標 を見せてくださったのです。

  この写真は その方にお礼状と共に送りました。

  

 

 私は2004年12月「19年前」に 肺腺癌で右肺上葉部分切除術をしたのです。

その翌年 2005年の夏の終わりに行った 上高地・・・是非とも

マー君を連れて明神池へ行きたいと( ^ω^)・・・

普通に歩くと 河童橋から明神池まで・・・1時間ほどで行けるのですが

上高地中部山岳国立公園なので 倒木はそのままの状態の所が多くあり車椅子の

マー君を連れて行くのは けっこう大変でした。

しんどい思いをしたお陰で、かの地は神秘的で清々しい想いに浸ることができ、

一緒に来れて良かった( ^ω^)・・・と何度 思ったことでしよう。

 

 

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