【 雑木林のパンやさん】 物語

雑木林のパンやさんは、火曜日と木曜日は14年間、土曜日のみは3年間営業していました。17年間、たくさんのお客様に来ていただき、2008年6月末に閉店しました。

能登半島地震の後【始まりの木】を読むことができて良かった・・・その 1

    

 これからは 民俗学の出番

   昔 この国の人たちは 美しいとはどういうことか 正しいとは何を意味するのか

そういうことを しっかり知っていた。

 

⁂ この本を読みたいと思ったのは 1月11日のつるひめさんのブログからの始まり

  でした。

  図書館へ行き予約をお願いして 間もなく よんばばさんのブログに

  精神が浄化されるような【始まりの木】というタイトルで書かれていました。

  お二人から伝わってくるのは 今 大切にしなければならないのは【民俗学

  民俗学のことは なんとなーくしか知りません。

  マー君も一緒に遠野へも行き「遠野昔話資料館」へも行きながら・・・です。

  そんな私が読みたいと思ったのです。

  一週間ほど前に読み終えました。

  ホント 読んでよかったです。

     この本を読んでから遠野へ行きたかった・・

     ーそれは無理ですねーこの本は 2020年初版発行です―

 

  ブログを書こうと思うのですが~~お二人の紹介文だけで充分です。

  私が書き添えることなどありません。

 

  そんな時 つるひめさんのコメントを思い出しました。

  「私が泣けた 鞍馬での箇所 マー君ママさんなら より一層心に響くのでは と

   思います。」という コメントをいただき・・・

   答えるように   書けるかもしれないと・・・

 

  先ずは簡単に・・・二人の紹介

古屋神寺郎は 学会でも高名な民俗学者

       変わり者であっても 院生には確実に修士を与える有能な准教授

 

藤崎千佳は  大学院に進学

       高校生の頃に読んだ 柳田國男遠野物語に感動したから・・・

       それだけではないのですが・・・やっぱり不思議なご縁で

       古屋先生の研究室へ・・・

そんな古屋神寺郎は口先だけの学者ではない。しつようとあれば、日本中どこでも

出かけていく。どれほど足が悪くても、階段を登るのにさえ苦労する身であっても

彼は歩く学者です。

 

古屋はしばしば突然、この快活な女学生に「藤崎 旅の準備をしたまえ」と

千佳と古屋の旅は いつもそうして始まる。

 

    第二話 【 七色 】

 

 藤崎千佳は、物静かな路地裏の石段に腰をかけたまま、辺りの古景に身をゆだねて

いる。

ここは 岩倉です。

学会の主催者でもある 南西大学の教授から「古屋先生には講演を引き受けて頂いて

感謝していますよ」

と言われた その後で「ああ、古屋くん」

いつのまにか「君」呼ばわり・・・

「ああいう連中を相手に講演するほど無意味なことはない。最初から揚げ足をとること

しか考えていない。右と言えば左、馬と言えば鹿と言うに決まっている」

「馬鹿ということですか」

「そうだ。間違いなく君より馬鹿だ」

そんな こんな会話 と言うよりも 古屋は千佳に怒りをぶつけるも・・・

千佳は「全然納得できないんですけど・・・」

「不毛な講演だ。やる気がなくなった」

ふいに投げ捨てるような口調で言う。

千佳は「気持ちはわかりますけど 講演に行かないなんて・・・」

とりあえず押しとどめようと口を開いた千佳の目に入ったのは、古屋のすぐ背後から

ふらりと姿を見せた瘦せた人影だった。

「あっ」と千佳が叫ぶのと、古屋と人影が衝突するのが同時だった。

 

「すみませんでした」

道端でひたすら頭を下げて謝ったのは、一人の青年です。

年齢は二十歳前後 血の気のない顔色で紺の毛糸帽をかぶつている。

なにより二人の目を引いたのは、青年が両脇に抱えている松葉杖だ。

「本当にすみませんでした。」

とりあえずステッキを探して路上に手を伸ばし、なんとか立ち上がった古屋が、

「大丈夫だ」と答えたのは、彼にしては上出来の応答。

「君が転んで誰かにぶつかるのは自由だが、どうせなら、杖をついていない奴に

ぶつかってくれないか」

千佳は「先生 またそうやって訳のわからないことを・・・」

慌てて止めに入る千佳の前で、青年はもう一度丁寧に頭をさげた。

千佳が戸惑ったのは足元に白い布で包んだ大きな板状の荷物をみつけたからである。

こんなものを抱えて松葉杖をついていれば、まともに歩けるはずもない。

千佳が口を開いた。

「大丈夫?」

「大丈夫です。すみません」

答える合間に かすれた咳を繰り返している。まるっきり病人の所作。

「もし一人で大変なら、私たちが送ってあげるけど・・・。そんなに遠いところでなければ」

「藤崎、講演に遅れるなと言っているそばから、道草を食うつもりかね?」

「まだ午後1時です。 時間はあります。」

「彼には二本も杖がある。私は一本だけだ。どちらが歩くのに、よりバランスをかくか

君はわからんようだな」

「バランスを欠いているのは、先生の言動の方だとおもいます」

さすがの古屋も沈黙

そんなやり取りを見て、青年は小さく微笑を~

「なにか変?」

「いえ、なんだかとても仲がよさそうなお二人だと・・・」

「君は足だけでなく目と耳も悪いようだな。それでぶつかっても仕方ない」

「先生ー」

「ごめんなさい、こういう人なの。気にしないで」

「気になんかなりません。なんだかこんなにあけっぴろげに言われると気持ちがいい

くらいです。」

青年は本当に楽しげな笑みを浮かべている。

「どこへ行くつもりなの?」

「鞍馬まで」

「鞍馬?」とさすがに千佳は当惑する。

 

       そのまま書き写すのではなく 要約したつもりですが・・・

       続きは近いうちに・・・載せます

 

 

 

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志賀原発は輪島の南で隣町に所在します。

 能登半島地震。 日がたつにつれて考えられないような津波被害 停電 断水 

寸断された道路~~地盤沈下 隆起等々 想像をはるかに超えた災害に心痛くなります。

避難先での大変さ~~救援活動をしてくださっている方への感謝~~

そんな思いをしながらも ~~

志賀原発が稼働していなかったことが 本当に良かったと 日を追うごとにそんな思い

が強くなります。

 

 

有為自然さんとのコメントのやり取り・・・は

 

 

 

  1月7日 有為自然さんのブログ【震度6強】の体験 もしも・・・

                なぜ 地震多発地帯に原発を?

 

  その記事のコメント欄に 私がコメントを書きました。

    

    ホント同感です。

 

 稼働していなかったのは~~東日本大震災の沢山の犠牲者と 今まだ故郷へ帰る事の

できない切なさを~~抱えた人達。 そして廃炉にするように・・・声を挙げ続けてい

る人達のお陰だと 私は思っています。

 

何としても ドイツの様に脱原発を・・・願うだけではダメですね。

昨晩 珠洲から 8時間かけて帰ってきたご夫婦と 話をしていて・・・

やっぱり選挙です。

投票に行くことです。

 

    有為自然さんからのコメントには・・・

マー君ママさん

志賀原発が稼働していたら 大変なことになっていたことでしょう。

モニターは作動していないところは たくさんあるし 道路も寸断されているのですから。

おどろいたのは【珠洲原発】の計画があったということです。

全く知りませんでした。

 

福島原発の記憶を消し去り 再稼働させようとしている政財界。

今日の地震のことをふまえて 原発がいかに 危険なものであるかを少しでも

多くの人に伝えていけたらと思っています。

そして 投票に実らせるようにしましょう。

  というコメントを頂きました。

 

 

   私から・・・

有為自然さん そうなんです。

関西電力 中部電力 北陸電力が 作ろうとしていたのが 珠洲原発だったのです。

その時の 住民の頑張っている姿を 友人である 赤井朱美さんがドキュメンタリーとして制作しました。

 

その作品は 【能登の海 風だより】1993年に制作されました。

 

能登の海風だより】は

 * 芸術作品賞

 * 放送文化基金賞優秀賞

 * FNSドキュメンタリー大賞

 * 地方の時代賞 映像コンクール優秀賞

 * ギャラクシー賞奨励賞

 * 第2回地球環境映像祭 社会環境映像賞

 * NY、フライブルグで上映 されました。

 

その映像は おばちゃんたちの生き方・・・

日常生活から 大切なことを理屈ではなく 生活すること していることが

力強く 笑顔も誘う 作品になっています。

  とコメントを書きました。

 

 

   有為自然さんからのコメント・・・

この作品を観たいですね。

また、より多くの方に観てもらう静かな運動が起きたらと思います。

 

 

    私から・・・

 有為自然さん

この作品は見てもらいたいとおもいます。

赤井朱美さんに電話をかけて 聞いたところ

横浜 放送ライブラリーへ行けば 見ることができるそうです。

ホント そんな運動が起きてほしいです。

ありがとうございます。

 

 

     有為自然さんから・・・

  マー君のママさんへ

赤井朱美さんに電話をして下さるなどして

視聴するための情報をありがとうございます。

横浜放送ライブラリーに行くには 我が家から2時間ほどかかることがわかりました。

3回 乗り換えのようです。

暖かくなりましたら 機会を見て 見に行こうと思いました。

その時は報告します。

北陸3県は、まだ一度も足を踏み入れたことがなく、私にとっては遠い存在でした。

これを機会に、いろいろ知ろうと思いました。

詳しく 丁寧な情報 本当にありがとうございました。

     とのコメントをいただきました。

 

 

 ⁂ 有為自然さんからの問いかけで~~~

おどろいたのは【珠洲原発】の計画があったということです。全く知りませんでした。

このようなコメントをいただいたので 私も思いがけずいろいろ書くことができました。

ありがとうございました。

 

有為自然さん 何かとお忙しい中 横浜放送ライブラリーまで 3回の乗り換えをして

2時間もかかるのですね ご無理をしないでくださいね。

 

 

* 地元地権者の反対する意志の強さと 反対する住民の結束力

  でした。

 

                 マー君と赤井さんとの関係は・・・

 

                ドキュメンタリーを何本もつくっている

                赤井さんは 編集は東京で・・・

                時折 編集中に電話があり マー君 に変わって

                ほしいと・・・固定電話の受話器をマー君の耳元   

                へ・・・話しかけてくださっているのが伝わり

                ました。

                マー君は いつも ではないのですが、

                身体をぴくぴくさせたり アーアーと声を出して

                いました。「わかるようです」

                後に赤井さんは マー君と話すと なんか 気持ち

                が らくーになるのよ~~~と

                         その時のことを思い出します。

                 

 

 

 

 

 

 

        

 

 

 

 

 

 

2024年の元旦は 地震から・・・

⁂ 年賀状は ウクライナパレスチナガザ地区の人たちのことを

  思いながら 作りました。

  

 

⁂ 何ということでしょう

  元旦の夕方 4時過ぎ 今まで経験したことのない大きな揺れが・・・

  夫と二人 うずくまってしまいました。

  揺れが小さくなり、部屋を見渡すと 特に落下物もなく 食器棚の扉も閉まった

  まま・・・

  あんなスゴイ揺れだったのに・・・と不思議に思ったくらいでした。

  それと おんなじくらい ほっとしました。

  テレビを付けると おんなじ画面と アナウンサーの警告の声

  情報が入ってこないことが その画面から伝わります。

  

* 私はと言えば 県内外の友人 知人から 大丈夫でしたか? のラインや

  電話が入り・・・

  その度に

  「マンション14階ですが・・・落下したものはなく 壊れたものもありません

   でした」と連絡を入れながら・・・

   夫と思わず発した言葉は 志賀原発が稼働してなくて 本当に良かった。

   と 一緒に言い合っていました。

   ベランダから外を見てもいつもと変わらない景色です。

 

⁂ 二日の朝 テレビを付けると・・・

  時間の経過と共に被害が明らかになり、 火災の映像も映し出されます。

  震源は 輪島市 東北3キロ付近

  マグニチュード 7,6 推定との事・・・

 

  毎年 2日 3日は箱根大学駅伝 を楽しみにしていたのですが

  「今回は第100回記念大会」と 言われても

  心ここに非ずでした。

 

  ブログのお仲間からも 心配をして頂き・・・

  私は先程書いたように 「・・・落下したしたものもなく壊れたものもありません

  でした。・・・」とコメントを書いた後 暫くしてからテレビのチャンネルを

  変えると 輪島の朝市のおばちゃんたちが 魚をさばき売っていた あの建物が

  全部火災でなくなり 瓦礫と なっています・・・啞然・・・

 

  落込みました。・・・想像力のなさ・ノーテンキな自分に呆れるばかりです。

 

  何ができるのかと 思うのですが 見当たりません。 

  珠洲市と関わりのある金沢の友人夫婦が 昨日 珠洲市から金沢まで 8時間かけ        

  て下道を走ってきたことを 電話で知りました。

  「問題のない時は珠洲市金沢間は2時間半くらいで行けるそうです」

  そんな 体験した方の話を伺い・・・

     

 

  被害の大きさを改めて知ったのです。

  救援物資がなかなか届かない現実があるようです。

  能登の方へ行くには のと里山海道 能越道 共に亀裂があちこちにあり崩落多数

  デコボコで 車がスムーズに走れないようです。

  下道は時間もかかり 大変だったとの事・・・

  知恵を絞り 何とか救援物資を届けて欲しいと思うばかりです。

  私達にできることは❓ 

  先ずは 珠洲市の人たちと関わりのある友人夫婦からの情報を待つことに

  しようと 思ったら 心が少し落着きました。

 

  

 

  

 

   

一昨年から続く音読・・・今年の音読は・・・

 

  ⁂ 昨年末 以前住んでいた能美市の友人が送って下さったこの本

    漢方の暮らし365日

         まいにち ご自愛ください。

 

   読みごたえがあり 知らないことばかりでした。

 

   お正月に欠かせない黒豆は免疫力アップ  とのこと・・・

 

 

この本を読んでから、月に一度は栗原はるみさんのレシピで黒豆を作るように、

しています。

 

 

 

  音読した本はこの本5冊と漢方の暮らし365日 です。

タオ「老子」著者は加島祥造 この本は20年ほど前に京都 論楽社から紹介された本

なんです。心に響く言葉が多く何度も 何度も読んでいます。

いずれ 施設へ入所する時は このタオは持っていこうと思っています。

 

 ⁂ 今年も沢山の方に ほとんどが思い出のブログを・・・読んでもらいました。

  ありがとうございました。加えてスターやカラースターそしてコメントまで・・・

  恐縮しております。

  新しい出会いに驚きと喜びがありました。

  来年も また、マー君との想い出を真ん中に ゆっくりと書き進めていきたいと

  思っています。

  後先になりました、皆さんのブログを読むことは楽しみです。

  そして 何よりも知らないことを知る喜びがあります。

  本との出会いもそうでした。

               *****感謝*****

 

  皆さん 良い年をお迎えくださいませ。

 

 

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この小説は心のマッサージを受けているようでした。

 つるひめさんのブログで紹介されていた

永遠と横道世之介 上、下 は 紹介文を読んで「読みたい・・・」と思ったのです。

翌日 近くの図書館へ・・・

順番待ちとの事・・・予約をお願いして 帰ろうとすると、図書館司書の方が私も読み

「周りの方を見ながら」・・・あの人達に薦めたんですよ・・・との事。

私は知らなかったので・・・人気の本なんだ―と思いながら帰宅しました。 

 

 年内は無理だろうと、半ば諦めていたそんな時に連絡があり、13日水曜日 直ぐに

図書館へ ぶ厚い本 上、下共にお借りすることができました。

読み始めは 世之介が専属カメラマンとして、修学旅行に同行しているところから始まります。

世之介が住んでいるのは 東京のとある下宿屋さん ドーミー吉祥寺の南

ここが ドラマのまん中で、人間模様がゆるやかに 繰り広げられます。

いつも目線の高さがおんなじ世之介と その仕事仲間や 下宿人 みんなみんな 

力みがなく、ありのまま・・・

何か心地良さそう・・・

あっそうそう オーナーでこのドーミー吉祥寺を切り盛りしているのは、あけみちゃん

あけみちゃんと世之介は事実婚の夫婦です。

下宿人は 谷尻くん 大学生

     ドーミーに暮らして4年目の若い女性大福さん

     ドーミー歴が20年ほどの礼二さん

そして 近所に住む野村のおばあちゃん

 

そして そして

修学旅行で知り合い 気が合った担任の先生 ムーさん その息子一歩君も下宿人になります。

一歩君は 引きこもりになって、たぶん思案した挙句その夫婦は一歩君と一緒にドーミ

ーにやってきます。悲愴な顔をして・・・と書いてあります。

世之介は一歩君のお母さんの話を延々と聞き、まるで相談員のように話を聞く羽目にな

ったようです。

そんな話を あけみちゃんが台所で聞きながら 「でもうちは、ただの下宿屋」

「でも うちは、ただの・・・・」と言うが、結局、その息子 一歩君はドーミーの

下宿人になるのです。

一歩君はドーミーの下宿人になったものの 誰とも喋らない 食事はあけみちゃん

がドアーの前に置く。そんな毎日が続くのですが・・・

みんな気になりながらも そんな様子を見ながらも・・・ 無視はしないけれど・・・

何となく気にしている様子が伝わります。

少しずつ変化があります。

だんだん みんなの中に入れるようになり

ある日

一歩君が世之介に尋ねます。

「何のために働いたり、学校へ行ったりするのか?」という質問に

お酒を飲んでいた世之介は「あー無理 無理 そういうのは 焼酎4杯目ぐらいから

お願いします・・・」と。

ふと世之介の脳裏にタシの姿が蘇る。

【・・・それは あれだよ、何でお前が生まれてきたかって言うとね、前世でお前が

いろんな人を大切にしたんだよ。そのいろんな人たちが また生まれ変わって、今のお

前を大切にしてくれるんだよ。・・・

だから何が言いたいかって言うと   人間が生まれてくるのは それは

ごほうびだよ。・・・前世でお前がいろんな人にやさしくしてやったごほうびに

今のお前は生まれてきたんです。・・・い、以上ですが・・・】

 

【どう?】と世之介

 

一歩君 【まぁ、回答としては逃げてると思いますけど嫌いじゃないです】

 

世之介 【だろ? 俺も気に入ってんだよ。この話】

 

一歩君 【でも今のって完全に タシさんからの受け売りですよね】

 

     鋭い一歩に、世之介は素直に頷くしかない。

 

  ⁂ タシさんとは

  タシさんとドルジさんはブータンから一緒に来られた二人で

  ドルジさんは大豪邸で タシさんはドーミーでホームスティをすることになった

  その人です。タシさんとドーミーの下宿人はいろんな話を和やかに・・・

  ブータンの死生観も会話の中にでてきていたんです。

  それが 世之介と一歩君の会話の中に・・・そんな話が出来るようになった一歩君

 

 ******* 環境って 大切ですねー******

 

 

 *** 次は こんな風に言える世之介はいいですよねー たまんないです。

 それは

世之介が数年ぶりに帰省。従兄の清志のお父さんの精霊流しに長崎へ帰ってきたのです。

智子姉ちゃんは福岡で暮らす二人の又従姉「智子姉ちゃんの息子は健ちゃん」

健ちゃん デカくなったなーと世之介が言うと

清志の表情が少し硬い。

「どうしたの?」と世之介は尋ねると

「いや ああいう自閉症の子はさ、子供の時はあれだけど、やっぱり体がデカくなると

ちょっと怖いな」

「えっ」と世之介

健ちゃんを怖いと言う清志を 世之介は まじまじと見つめた。

「だって 昔からよく急に大声を出して暴れてたろ?ああいうふうに

 今でもなるのかなって」

「なるんじゃない。年齢関係ないと思うよ」 と世之介

~~~~~~

「清志兄ちゃん つまんないこと言うねー」と世之介は笑い飛ばした。

「なんで? 別に偏見とかじゃないぞ。でもさ、人と違っていると どう接していいか

 分からない時あるじゃん」

世之介に笑われた清志が口を尖らせる。

「そういう時はさ、相手の目を見てあげるんだよ。相手の目だけをじっと見るの」

「目?」

世之介の言葉を清志がオウム返しする。

「そう目・目なんてさ、そうそう人と違わないから。多少、外見や様子が人と違った

 ところで、

【ああ、この人も俺と一緒だ】 って思うのよ。  

そしたら怖いことなんてなんにもないし、もし暴れだしたら、グッと抱きしめて

【落ち着け。安心しろ。大丈夫 大丈夫】って呼吸を合わせてやればいいんだよ】

 

   ⁂ この二人の会話に 障がいのある子供を育てた親として

     【グッと 心をつかまれました】そして じわっーと涙まで・・・

   

 

 そして そして エバさんのこと その家族のことも・・・

エバさんは世之介の後輩でアシスタントのカメラマンです。

そのエバさんは結婚をして赤ちゃんが生まれそうなんですが・・・難産で・・・

そんな知らせが入ると、世之介は居ても立っても居られず病院へ駆けつける

ドーミーにいるあけみちゃんと一歩は 雨の中を近くの神社へお百度参り・・・

その様子は ひしひしと伝わってきます。

エバさんのパートナー咲子さんは元気になって退院・

小さい 小さい 赤ちゃんは病院に・・・何度も会いに行く世之介。

その病院でエバが 一回だけここで大泣きしてもいいっすか?と世之介に・・・

このあたりから 涙腺崩壊です。

話が前後しますが・・・エバさんからお腹の赤ちゃんの名前を付けてほしいと

頼まれていた世之介 俺でいいのか?と聞きながらも考えていた名前なんです。

名前は 永遠 「とわちゃん」

 

***********

15年後は

とある絵本売り場 そこの店長は大福さん 一歩君もいます。

その会場へ永遠ちゃんの車椅子を押す9歳になる弟の幸之助君 

お母さんの咲子さん お父さんのエバさん なんともにぎやかな家族です。

 

最後のページは

以前世之介がエバから赤ちやんの名前を付けてほしいと頼まれていて・・

名前がきまり手紙を書いたその手紙の全文が 載っています。

 

 この手紙は世之介の生き方そのもの・・・

 煮凝りのようだと思いました。

 

 長ーいながーいブログになりました。この小説は日向ぼっこを

しているような 心地よさ満載なんです。

私が切り取ったこれらの文章は この小説のほんの一部です。

こんなエピソードも書いてあったことが嬉しい。     

                 マー君ママです。

 

 

 

 

 

   

 

  

 

 

  

 

  

 

 

 

 

25年前の夏にカナダ旅行・・・その年の暮れに大きなクリスマスカードが届きました。

 25年前の夏はカナダ旅行で、お世話になった

人達へのお礼の手紙を書きながら・・・ 

マー君と一緒に想い出を辿りながら・・・

カナダの思い出から抜け切れない日常を過ごしていました。

8月は雑木林のパンやさんは夏休みなので、

そんな 日常が許されたのです。

メープル観光へもお礼状を書き posutoinn・・・

その年の12月に大きなクリスマスカードが届いたのです。

『62センチ×23センチ』の大きさです。

その時の驚きと嬉しさは、今も色鮮やかに想い出すことが

できます。「郵便配達のお兄さんの様子も・・・」

 このカードを読みながら、また、行きたいねーと言っていたのですが

行くことはできませんでした。

 

このカードと共に手紙が同封されていました。

その手紙は 今読んでも心うたれます。

私達のことは 褒めすぎですが・・・

カナダは住みやすい国だと よく耳にしますが・・・                   *********** 州民の声を無視すると進歩的な政党に政権から引き摺り

下ろされる事は間違いないでしょう******と・・・日本は❓と思いながら

そのまんまに・・・

25年後の今もおんなじことを思っている私がいます。

 

 チョット読みずらいので書き写します。

 

 

  大谷守様、 大谷章子様、大谷征治様

 

前略

章子様の心暖まるお手紙を頂戴致しました。有難うございました。

 

守さんをこれほどまでに励まし、全身全霊で育ててこられたご両親に会えたことは、大

変光栄なことでした。純粋な愛情を行動で忠実に実行する事はなかなか大変なことだと

思います。また、日本の福祉の現状ではいささかご苦労がおおいかとおもわれます。

それにも負けず一生懸命頑張っている方々との出会いに、心うたれました。

 

ご存知のように、カナダは日本に比べて社会福祉は進んでいますが、その背景には様々

な問題も有ります。ここカナダのオンタリオ州では1990年以来いまだに大不景気が

続いています。カナダ連邦政府も各州政府も最近まで赤字予算解消だけを集中的に政策

を行っており、立派だった福祉制度は長い間その「犠牲」となってきておりましたが、

最近のアンケートでは福祉面を復活させようという声が州民、国民の間に強く起きてき

ており、オンタリオ州の現保守党政府も 2年後には総選挙を控えており、この州民の

声を無視すると進歩的な政党に政権から引き摺り降ろされることになる事は間違いない

でしょう。

このようにカナダではmultiーpartysystemと言って2政党以上が政権を握る可能性があ

り、州民、国民の声を聞かない政党は政治生命が持続しません。

1950年代ではわずか4パーセントぐらいしか新移民者「イギリス・フランス系以外

がいなかったのが 今では48パーセントになり進歩的な移民者に差別の無い政治方針

を要求する政治となり、更に女性が加わりご存知のように一番の政治勢力となった

おかげで外国人の私どもでもカナダは非常に住みやすい国に生まれ変わりました。

カナダは歴史の短い国ですが、州民、国民の声が政治に大きく反映されます。

私が思うに、いつの時も女性の力は、弱い者の心を強める者として、そしてそれぞれの

国の歴史と共に精力的に政治を変えていくと確信しています。

 

遅くなりましたが、クリスマスカードを送らせて頂きました。

どうぞ皆様におかれましては、心豊かな年になります様 遠地よりお祈りしておりま

す。

                                  草々

                               1998年

                               朝比奈 潤

 

 

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長い旅の途上 星野道夫著書

 この写真は

マー君と一緒にカナダ旅行をした時に 買ってきた 私のセーターと

マー君の靴下カバーです。寒くなると いつもこの靴下カバーを履いて

車椅子に乗り 外出していました。

 

 昨日の金沢は暖かく お布団を干して・・・買い物は自転車で・・・

 

今日は雨模様です。

本棚に目を向け・・・久々に星野道夫さんの小さな本を手に取りました。

この本にも付箋がしてあります。そのページを開くと・・・

 

      初めての冬

 まだ一歳にもならぬ息子が、黄葉が散り始めたベランダに座り、九月の風に吹かれて

いる。コガラがスーッと木々の間を飛び抜け、アカリスがトウヒの枝の上で、鋭い警戒

音を発し、風がシラカバの葉をサラサラと揺らすたび、彼はサッと世界に目を向ける。

そんな一瞬の子どもの瞳に、親の存在などと関係なく、一人の人間として生きてゆく力

をすでに感じるのはなぜだろう。そんな時、ふと、カリール・ギブランの詩を思い出

す。

 

 あなたの子供は、あなたの子供ではない。

 彼等は、人生そのものの息子であり、娘である。

 彼等はあなたを通じてくるが、あなたからくるのではない。

 彼等はあなたとともにいるが、あなたに屈しない。

 あなたは彼等に愛情を与えてもいいが、

 あなたの考えを与えてはいけい。

 何故なら、彼等の心は、あなたが訪ねてみることもできない、

 夢の中で訪ねてみることもできない

 あしたの家にすんでいるからだ・・・

 

 そして今は十二月。気温もずいぶんと下がり始め、マイナス30度の大気の中で

子どもの頬が赤くそまっている。太陽も地平線の彼方へ遠く去り、長い夜が一日

を支配して、晴れた夜空にはオーロラが舞っている。ぼくにとっては十八年目の、

そして息子にとっては、はじめてのアラスカの冬がめぐってきた。・・・・・・

 

                    2002年 5月10日 第1刷 より

                                                                          本書は星野道夫氏の

                    遺稿集として編集されたものです。

                    1996年8月8日ヒグマの事故により急逝

 

                 

   時々 星野道夫著書から 心惹かれた文章を載せたいです。

 

 

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